。サテモ並んだ病気の名前じゃ。丸い洋文字、四角い漢字と。押し合いヘシ合い何百何千。指を折るさえ難儀な位じゃ。さては今では精神病者も。外科や内科の患者と同様。科学知識の光りに照され。底を見透す診察治療や。道理つくした介抱手当ての。数をつくしてもらっているかと。有難がるのは素人ばかりじゃ……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。有難がるのは素人ばっかり。憎まれ口をばたたくじゃないが。お魂消《たまげ》なさるな西洋日本で。天の際涯《はて》から地のドン底まで。調べ抜いたる科学者連中が。寄ってたかって研究しても。カンジンカナメの一番|大切《だいじ》な。オノレが頭蓋《あたま》の空洞《うつろ》の中に。トグロ巻いてる脳味噌ばかりは。ドンナ作用しているものやら。真実《ほんと》のところが全くわからぬ。それを嘘言《うそ》じゃと思うたお方は。古今東西あらゆる学者が。人の脳髄調べた書物を。読んで御覧になったらわかるよ。これは物事聞いたり見たり。判断して行くところで御座るの。知識、経験、昔の記憶を。保存しておく倉庫で御座るの。何が何して何じゃら彼《か》じゃら。浪花節《なにわぶし》なら前置きばっかり。エライ議論が出ておりますけれど。確かな事実は一つもわからん……チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。確かな事実は一つもわからぬ。わからぬ筈だよ不思議は御座らぬ。凡《およ》そ天下が広いというても。人の脳髄ホントに調べて。腹の立つほど簡単明瞭。奇妙キテレツ珍妙無類な。脳の作用を見貫《みぬ》いた者なら。問わず語りで烏滸《おこ》がましいが。ここに居ります私《わたくし》ばっかり。……なぞと云うたら皆さん方は。そういうお前の脳味噌だけが。毎日|天日《てんぴ》に焼かれたお蔭で。性《しょう》が変って来《きた》ものダンベイ。なぞとお笑いなさるか知らぬが。真実《ほんと》にそうダンベイかも知れぬが。そこが私の道楽仕事じゃ。世界各地の博士や学者を。アッといわせる研究|仕遂《しと》げて。二十億万人類社会の。アタマの入れ換えするのが楽しみ。いずれそのうちその論文なら。或る大学から発表されます。それを御覧になったらわかるよ。ほかのあらゆる世界の学者は。脳の研究しかたを知らない。見当違いの思惑ずくめで。多分だろうと思った位の。真実《まこと》めかした当筒砲《あてずっぽう》だよ。一つの道理は説明出来ても。ほかの事実が解釈出来ない。あちらを立てればこちらが立たない。九尺二間に雨戸が二枚じゃ……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。九尺二間に雨戸が二枚じゃ。まして況《いわ》んや朝から晩まで。走馬燈籠《まわりどうろう》か百色眼鏡か。猫の眼玉じゃ、七面鳥じゃと。泣いて笑いつクルクルチラチラ。千変万化の秘術をつくす。人の心のその正体が。どんな姿の形のものやら。それがどうして狂うたものやら。酒屋の半七さんではないが。どこにどうして御座ろうものやら。ただの一つも解かっていませぬ。それが証拠は何より眼の前。今の精神病科の書物に。並び並んだ病気の名前じゃ。そんな書物を作った学者が。何が何やらわからぬまんまに。ザッと患者の表面《うわつら》眺めて。身振り素振りを引当て目当てに。つけもつけたり素人欺瞞《しろうとだま》しじゃ。色気狂《いろけぐる》いが色情狂だよ。人を殺せば殺人狂です。舞踏狂なら踊りを踊るの。放火狂なら放《つ》け火《び》をするのと。何の科学で調べた事かや。わかり切ったる名前の附け方。医者でなくとも誰でも附けます。怒《おこ》り上戸《じょうご》やアノ泣き上戸。笑い上戸に後引き上戸。梯子《はしご》上戸と世間の人が。酔うた姿を見かけの通りに。名前つけるとおんなじ流儀じゃ。これで診察出来るが奇妙じゃ……チャカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ。
 ▼あ――ア。これで診察出来るが奇妙じゃ。サテモ精神病者を受け持つ。博士、学士の医者様たちは。人の心の狂うた処や。又は狂わぬ確かな証拠を。どこで調べて見分けて行くかと。不思議がるのは又素人だよ。そこは商売、心配無用じゃ……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。そこは商売、心配御無用。すべて精神病者と名付けて。遠方はるばるお医者の玄関《げんか》へ。連れて来られた人間ならば。誰が見たとて正気に見えない。かなり嵩《こう》じた連中ばかりじゃ。又は見かけが普通と変らぬ。落付き払った病人とても。家族連中や掛りのお医者が。チャントお上《かみ》へ手続き済まして。精神病者に相違が御座らぬ。不法監禁お構いなしじゃと。法律ずくめの許可証揃えて。正々堂々連れて来るから。お医者側では手数がかからぬ。家族連中の話の模様や。又は患者の態度《ようす》を眺めて。書物拡げて照し合わせて。似合相当の名前を付けたら。それで診察おわりというので。赤い煉瓦《れんが》へ打《ぶ》ち込むだけだよ。中には診察違いの者なぞ。ポツリポツリと居るかも知れぬが。これもやっぱり心配御無用。ほかの種類の病気と違うて。こいつばかりは誤診がわからぬ。一度「キの字」ときまるが最後じゃ。二度と出られぬ煉瓦の地獄じゃ。「違う違う」と云い訳したとて。それが、そのまま「キの字」の証拠と。今も昔も変らぬ運命《さだめ》じゃ。放火狂じゃと診察《みこみ》をつけて。八百屋お七を解剖したらば。何ぞ計《はか》らん色情狂だよ。窃盗狂者《どろぼうマニア》の標本《みほん》と思って。石川五右衛門入院させたら。誇大妄想狂者とわかった。なぞとお尻がハジケル心配。決してないから気楽なものだよ。テンカラ診察出来ない患者じゃ。何が何やらわからぬ病気じゃ。サテモ気楽なキチガイ医者だよ……スカラカ、チャカポコ。チャチャラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。扨《さて》も気楽な精神病《キチガイ》医者だよ。ならば治療の仕方はどうかと。心配するだけ野暮天《やぼてん》、素人。これも、やっぱり診察同様。盲目《めくら》探りの真っ暗闇だよ。すぐに脳天砕かぬところが。開け行く世のお蔭か知らぬが。患者側から云わせて見たなら。どうか解からぬ証拠は眼の前。どこでも構わぬソンジョのそこらの。精神病院|覗《のぞ》いて御覧よ。鉄の格子の牢屋はもちろん。今の未決監《みけつ》や監獄なぞには。影も見せない道具の数々。鉄の鎖に袖無し襯衣《シャツ》だよ。手枷《てかせ》、足枷。磔刑《はりつけ》寝台じゃ。小窓開いた石箱なんぞが。ズラリズラット並んだ光景《ありさま》。どんな極重悪人とても。五体震わす拷問道具じゃ……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。五体震わす拷問道具じゃ。それに引換え入院患者の。心の狂いをホントに治癒《なお》す。薬器械のたぐいというたら。只の一つも見当りませぬ。眠らぬ患者に麻酔《まやく》の注射じゃ。騒ぐ者には鎮静剤だよ。物を喰わねば栄養物の。注射、浣腸《かんちょう》ぐらいのものです。下手な内科や外科にも劣る。あとは治癒《なお》ればお医者の手柄で。死ねば運じゃと済ましたもんだよ。アハハのエヘヘの平気の平左《へいざ》じゃ。サテモ恐ろしキチガイ地獄じゃ……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。サテモ恐ろしキチガイ地獄じゃ。なれどここらはまだ小手調べじゃ。キチガイ地獄の三途《さんず》の川だよ。聞いたばかりで身の毛がザワ付く。八万地獄は愚かな事だよ。阿呆メチャクチャ出鱈目《でたらめ》放題。あらん限りの虐待つづける。この世からなる精神病者の。地獄ゥ――めぐりィ――はァ――サテこれェ――かァ――ら――じゃァ――い……スカラカ、チャカポコ。スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……

       四

 ▼スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ。あ――ア。なんと皆さん魂消《たまげ》なさるなよ。これは日本の話じゃ御座らぬ。唐《から》や天竺《てんじく》あちらの話じゃ。世界各地の精神病医が。こんな無慈悲な心で建てたる。外観《みかけ》立派な病院地獄は。こんな愚かな亡者の患者で。一つ残らず満員している。それも道理かその第一には。そんな地獄の寝台《ねだい》の数をば。今の千倍、万倍したとて。人間世界のそこでもここでも。ヒョクリヒョクリとあらわれ飛び出す。精神病者の数には足りない。しかも一旦入院したなら。治癒《なお》る期間が長いはまだしも。一生出られぬ患者もあるので。否《いや》が応でも大入満員。そこでお医者が威張るわ威張るわ。どんな事でも患者に仕向けて。面倒臭いか納める金が。すこし渋るかするその時は。直ぐにドシドシ退院させます。自宅治療のお許し附きで。無事に出て来る患者もあれば。ほかの病気の診断書《おみたて》付きで。棺に這入って出るのも在るが。後の代りはアトカラアトカラ。押すな押すなの改札口だよ……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。押すな押すなの改札口だよ。なれどソイツは話が怪訝《おか》しい。奇妙、不思議じゃ一体全体。そんな処へお金を出して。何がためなら入院させるか。なぞと御不審なされるお方は。われと身内に精神病者が。出来た経験持たない方だよ。まずはゆっくりお聞きなされませ。モット驚く話がこれから。チャカラカ、チャカポコ飛び出しまする。私ゃ知らんが木魚が知っとる。……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。わたしゃ知らんが木魚が知っとる。もっと驚く事実があります。しかもどこでも共通平等。精神病院関係者ならば。云わず語りで誰でも知っとる。極秘親展正直正銘。ここを限りの話というたら。ちょっと辻褄《つじつま》合わぬか知らぬが。チャント合うのが木魚の話じゃ。すべてキチガイ患者を連れて。赤い煉瓦のお玄関先《げんかさき》へ。お辞儀しに来る連中の中でも。親や兄弟、妻子《つまこ》やなんぞは。どうか治癒《なお》して下さりませと。涙流して溜息ついて。頼み入るのが少くないが。そんな骨肉《みうち》の連中の中でも。ホンニ心《しん》から真情《まごころ》籠《こ》めて。治療《なお》すつもりで介抱するのは。実のところが母親ばっかり。それも真実わが腹痛めた。息子か娘が患者の場合じゃ。ほかの骨肉《みうち》の連中と来たなら。同じ血分けた父《おや》兄弟でも。実に冷淡無情なものだよ。殊《こと》にお若い妻君なんぞは。申訳《もうしわけ》だけ二三日位は。側で溜息|吐《つ》くかと思えば。里の方から迎えに来るのを。待っていたようにハイチャイ極《き》め込む。それもまだまだ最極上だよ。医者に患者を渡すと間もなく。部屋がどこやら決定《きま》りもせぬうち。電話かけにか便所に行くのか。帯の間の鏡を覗いて。鼻のアタマをパタパタやるうち。スラリと姿を消したが別れじゃ。二度と姿を見せないものだよ……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。二度と姿を見せぬが普通じゃ。ドウセ治癒《なお》らぬ病気と決定《きま》れば。医師に見せるは体裁だけだよ。棄てに来るのが本当の腹だよ。生きて生き甲斐ないこの病気。どうぞよろしく頼みますると。頼む挨拶ウラから聞くと。もしも治癒《なお》れば迷惑千万。なろう事なら殺して欲しいと。云わぬ心がハッキリ見え透く。ここが患者の生死の境いで。医者が大いに儲かるところじゃ。……オットそんなに眼の色かえて。そんな事が……とお白眼《にら》みなさるな。現にこの眼で見て来た事です。但し日本の事では御座らぬ。唐《から》や天竺《てんじく》、西洋《あちら》の事だよ。耳も無ければ眼玉も持たない。物も云わない木魚の話じゃ。……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。物を云わない木魚の話じゃ。唐や天竺あちらの話じゃ。男、女の区別を問わない。一度発狂した人間なら。ドンナ平気な顔しておっても。思いがけなく乱暴したり。人を斬ったり放火《つけび》をしたり。嫌な気持やオカシナ所業《しわざ》を。あたり八方ひろげてサラゲル。人の姿の犬畜生だよ。人間扱いするには及ばぬ。ドンナ手酷《てひど》い仕置きをするとも。石や瓦《かわら》の投げ撃ちしても。罪にゃならない相手も記憶《おぼ》えぬ。たとい立派に治癒《なお》ったようでも。いつが何時《なんどき》、再発
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