》の或るもの……たとえば当時の甚しき疲労感等が、警部の訊問の暗示力によって意識裡に浮み出でしものに非《あら》ざるなきやも疑い得べし。然れども、これを他の一面より見る時は、気質の純真と、良心の澄明とが反映したる、極めて明敏なる頭脳の所有者にして且つ、小説類の愛好者たる呉一郎が、かかる局面に立ちたる結果起したる、この種の頭脳特有の錯覚に非ざるなきやを保し難し。随《したが》って、這般《しゃはん》の疑問は、呉一郎の夢中遊行の存在を的確に立証し得るものに非ず。唯、一箇の補遺的参考としてここに掲ぐるを得るのみ。
尚《なお》、以上述ぶるところに依って、古来、夢中遊行病者が一種の二重人格の所有者なるが如く思惟せられおる事が、真に近き理由をも理解するを得べし。すなわち、祖先代々より遺伝し来りたる無量の記憶と、その血統中に包含されたる各人種、各家系、各個性等の無数の性能の統一体たる一個の人間の性格のうち、その一部が覚醒中に分離してあらわれたるものが所謂二重人格にして、同じく睡眠中に発露されたるものが夢中遊行症なり。而《しか》してかかる夢遊病者の素質が、遺伝性を帯びおるものなるは無論なるを以て、夢遊病者が
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