クリと音を立てて、唾液《つば》を呑み込んだようであった。それから、恰《あたか》も、貴《たっと》い身分の人に対するように、両手を前に束《たば》ねて、今までよりも一層親切な響《ひびき》をこめながら、殆ど猫撫で声かと思われる口調で私を慰めた。
「御尤もです。重々、御尤もです。どなたでもこの病室に御自分自身を発見されます時には、一種の絶望に近い、打撃的な感じをお受けになりますからね。……しかし御心配には及びませぬ。貴方はこの病棟に這入っている他の患者とは、全く違った意味で入院しておいでになるのですから……」
「……ボ……僕が……ほかの患者と違う……」
「……さようで……あなたは只今申しました正木先生が、この精神病科教室で創設されました『狂人の解放治療』と名付くる劃時代的な精神病治療に関する実験の中でも、最貴重な研究材料として、御一身を提供された御方で御座いますから……」
「……僕が……私が……狂人《きちがい》の解放治療の実験材料……狂人《きちがい》を解放して治療する……」
若林博士は心持ち上体を前に傾けつつ首肯《うなず》いた。「狂人解放治療」という名前に敬意を表するかのように……。
「さよう
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