なかった。
私はガッカリして部屋の真中に引返して来た。ガタガタ慄《ふる》えながらモウ一度、部屋の隅々を見まわした。
私はイッタイ人間世界に居るのであろうか……それとも私はツイ今しがたから幽瞑《あのよ》の世界に来て、何かの責苦《せめく》を受けているのではあるまいか。
この部屋で正気を回復すると同時に、ホッとする間もなく、襲いかかって来た自己忘却の無間《むげん》地獄……何の反響も無い……聞ゆるものは時計の音ばかり……。
……と思う間もなくどこの何者とも知れない女性の叫びに苛責《さい》なまれ初めた絶体絶命の活《いき》地獄……この世の事とも思われぬほど深刻な悲恋を、救うことも、逃げる事も出来ない永劫《えいごう》の苛責……。
私は踵《かかと》が痛くなるほど強く地団駄《じだんだ》を踏んだ……ベタリと座り込んだ…………仰向けに寝た……又起上って部屋の中を見まわした。……聞えるか聞えぬかわからぬ位、弱って来た隣室《となり》の物音と、切れ切れに起る咽《むせ》び泣きの声から、自分の注意を引き離すべく……そうして出来るだけ急速に自分の過去を思い出すべく……この苦しみの中から自分自身を救い出すべく…
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