ので、又も若林博士を振り返った。
「この写真はどなたですか」
若林博士の顔は、私がこう尋ねると同時に、著《いちじる》しく柔らいだように見えた。何故だかわからないけれども、今までにない満足らしい輝やきを見せつつ、ゆっくりと頭を下げた。
「……ハイ……その写真ですか。ハイ……それは斎藤寿八先生です。最前も、ちょっとお話をしました通り、正木先生の前にこの精神病科の教室を受持っておられましたお方で、私どもの恩師です」
そう云ううちに若林博士は軽い、感傷的な歎息《ためいき》をしたが、やがてその長大な顔に、深い感銘の色をあらわしつつ、悠々と私の方に近付いて来た。
「……やっとお眼に止まりましたね」
「……エッ……」
と私は驚きながら若林博士の顔を見上げた。そう云う若林博士の言葉の意味がわからなかったので……。しかし若林博士は構わずに、なおも悠々と私に接近すると、上半身を心持ち前に傾けながら、私の顔と写真を見比べて、一層真剣な、叮嚀な口調で言葉を続けた。
「この写真がやっとお眼に止まりました事を申上げているので御座います。何故かと申しますとこの写真こそは、貴方の過去の御生涯と、最も深い関係を結
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