ん中に突立って、煽風機《せんぷうき》のように廻転する自分の頭の中を、眼の奥底に凝視しつつ…………。
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……けれども……。
……けれども、もしそうとすれば、私は是非とも呉一郎でなければならぬ…………。
……お……オオ……私が……アノ呉一郎…………。
……あの正木博士が私の父親……。
……あの千世子が私の母親……。
……そうしてアノ狂える美少女……モヨ子…………モヨ子は…………。
……おお……おお…………。
……私は親を呪い、恋人を呪い、最後に見ず識《し》らずの男女数名の生命《いのち》までも奪うべく運命づけられた、稀有《けう》の狂青年であったのか…………。
……死んだ父親の罪悪を、白昼公然と発《あば》き立てている、冷酷無残な精神病者であったのか……。
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「アアッ……お父オさア――ン……お母アさ――ン……」
と叫んだが、その声は自分の耳には這入らなかった。ただ嘲《あざ》けるような反響を室の隅々に聞いただけであった。
私はそのまま下顎を固張《こわば》らせつつ、森閑《しんかん》とゆらめく電燈の光りを振り返った。大きな歎息をした後のように静まり返っている室の中を見まわした。
……意識の力はどこまでもハッキリしたまま……うつつともなく、夢ともなく、私の眼の前の床が向うの方に傾くにつれて、半分《なかば》開いた入口の方向を眼指《めざ》しつつ蹌踉《ひょろひょろ》と歩み出した。
「出入厳禁」と書かれた白紙を扉《ドア》の外から振り返った。
……しっかりせねばならぬ……どこまでも理性を働かせねばならぬ……と思いつつ白い月の光りがさし込んでいる窓付きの廊下を、右に左に傾き歩いた。
玄関の左右に並んだ真暗な階段の左側を、棒のように強直《ごうちょく》しつつ……ゴト――ン……ゴト――ン……という自分の足音を聞きつつ……一段一段と降りて行った。そのおしまいがけに、もう床に行き着いたと思うと、私の足は空を踏んで、全身が軽々とモンドリを打った……ように思う。
それから私はどうして起き上ったか、どこをどう歩いて行ったかわからない。いつの間にか自然と七号室の扉《ドア》の前に来て、石像のように突立っている私自身を発見した。
私は何かしら思い出せない事を、一所懸命に考え詰めた揚句《あげく》に、思い切ってその扉を開いて中に這入った。今朝《けさ》のままになっている寝台の上に、靴|穿《ば》きのまま這い上って、仰向けにドタリと寝た。その頭の処で、扉がひとりでに閉まって来て重々しい陰鬱な反響を部屋の内外に轟かした。
……すると、それと殆ど同時に、混凝土《コンクリート》の厚い壁を隔てた隣りの六号室から、魂切《たまぎ》るような甲高《かんだか》い女の声が起った。
「兄さん兄さん……兄さんに会わして下さい。今お帰りになったようです。あの扉《ドア》の音がそうです。兄さんに会わして下さい……イイエイイエ……妾《あたし》は狂女《きちがい》じゃありません……兄さんの妹です。妹です妹です……兄さん兄さん。返事して頂戴……妾です妾です妾です妾です」
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………………………………………………………………………………………………………………これが胎児の夢なんだ………………………………………………………………。
……と私は眼を一パイに見開いたまま寝台の上に仰臥して考えた。
……何もかもが胎児の夢なんだ……あの少女の叫び声も……この暗い天井も……あの窓の日の光も……否々……今日中の出来事はみんなそうなんだ……。
……俺はまだ母親の胎内に居るのだ。こんな恐ろしい「胎児の夢」を見て藻掻《もが》き苦しんでいるのだ……。
……そうしてこれから生れ出ると同時に大勢の人を片《かた》ッ端《ぱし》から呪い殺そうとしているのだ……。
……しかしまだ誰も、そんな事は知らないのだ……ただ俺のモノスゴイ胎動を、母親が感じているだけなのだ。
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私の寝ている横のコンクリートの壁を向側からたたく音がし初めた。
「……兄さん兄さん。一郎兄さん。あなたはまだ妾《あたし》を思い出さないのですか。あたしですあたしです……モヨ子ですよ……モヨ子ですよ。返事して下さい……返事して……」
と二三度連続して叩いたと思うと、痛々しい泣声にかわって、何かの上にひれ伏した気はいである。
私は寝台の上に長々と仰臥したまま、死人のように息を詰めていた。眼ばかりを大きく見開いて…………………………………。
……ブ…………ンンンンン……
という時計の音が、廊下の行き当りから聞えて来た。
隣室《となり》の泣声がピッタリと止んだ。それにつれて又一つ……
……ブ――――ン……
という音が聞えて来た。前よりもこころもち長いような……私は一層大きく眼を見開いた
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