……ブ――――ン……
 ……という音につれて私の眼の前に、正木博士の骸骨みたような顔が、生汗《なまあせ》をポタポタと滴《た》らしながら鼻眼鏡をかけて出て来た……と思うと、目礼をするように眼を伏せて、力なくニッと笑いつつ消え失せた。
 ……ブ――――ン……
 夥しい髪毛《かみのけ》を振り乱しつつ、下唇を血だらけにした千世子の苦悶の表情が、ツイ鼻の先に現われたが、細紐で首を締め上げられたまま、血走った眼を一パイに見開いて、私の顔をよくよく見定めると、一所懸命で何か云おうとして唇をわななかす間もなく、悲し気に眼を閉じて涙をハラハラと流した。下唇をギリギリと噛んだまま見る見るうちに青褪《あおざ》めて行くうちに、白い眼をすこしばかり見開いたと思うと、ガックリとあおむいた。
 ……ブ――――ン……
 少女浅田シノのグザグザになった後頭部が、黒い液体をドクドクと吐き出しながらうつむいて……。
 ……ブ――――ン……
 八代子の血まみれになった顔が、眼を引き釣らして……。
 ……ブ――ンブ――ンブ――ンブ――ンブ――ン……
 頬を破られたイガ栗頭が……眉間を砕かれたお垂髪《さげ》の娘が……前額部の皮を引き剥がれた鬚《ひげ》だらけの顔が……。
 私は両手で顔を蔽《おお》うた。そのまま寝台から飛び降りた。……一直線に駆け出した。
 すると私の前額部が、何かしら固いものに衝突《ぶっつか》って眼の前がパッと明るくなった。……と思うと又|忽《たちま》ち真暗になった。
 その瞬間に私とソックリの顔が、頭髪《かみのけ》と鬚を蓬々《ぼうぼう》とさして凹《くぼ》んだ瞳《め》をギラギラと輝やかしながら眼の前の暗《やみ》の中に浮き出した。そうして私と顔を合わせると、忽《たちま》ち朱《あか》い大きな口を開いて、カラカラと笑った……が……
「……アッ……呉青秀……」
 と私が叫ぶ間もなく、掻き消すように見えなくなってしまった。
 ……ブウウウ…………ンン…………ンンン…………。



底本:「夢野久作全集9」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年4月22日第1刷発行
   2002(平成14)年9月5日第4刷発行
初出:「ドグラ・マグラ」松柏館書店
   1935(昭和10)年1月15日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※底本では、サイズの異なる文字が数種類使用されています。このファイル中では[#「○○」は本文より△段階大きな文字]という形で注記しています。このファイル中で注記している最大の文字は「6段階大きな文字」です。6段階大きな文字は、高さと幅が本文で使われている文字の2倍強程度の大きさです。
なお、文字の大きさの注記は、論文のタイトルや新聞の見出しを想定している箇所など、文字が本文より特に大きい箇所のみにつけました。
※「キチガイ地獄外道祭文」「十」の葉書中の文字は、底本では「九州帝国大学医学部精神病学教授」が本文より3段階、「斎藤寿八氏自室気付」が2段階、「面黒楼万児宛」が5段階大きくなっています。
葉書中の切手を貼る位置を示す罫は、底本では波線です。
入力:砂場清隆
校正:ドグラマグラを世に出す会
2007年11月29日作成
2009年9月16日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました.入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全235ページ中235ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング