と受けた揚句《あげく》に、この室《へや》に連れ込まれて、やはり今朝と同じ順序で、いろんな物を見たり聞いたりしたのであった。
……それから遺言書を読み終った私は間もなく、その遺言書を書いた当の本人の正木博士に会って、きょうの通りに肝を潰した。そうしてその正木博士の案内で、南側の窓の外を覗くと、その前日限りに閉鎖されたまんまの解放治療場内の光景を見ると同時に私は、自分の過去の記憶の中でも、一番最近の記憶に支配された夢中遊行に陥って、やはりその前日のちょうど、その時刻に、そこで、そうしていた通りに、爺さんの畠打《はたう》ちを見物している自分の姿を窓の外に幻覚した。そうして、それと同時に、やはり、その前の晩に、頭を壁に打ち付けた際に出来た頭の痛みを、無意識に手に触れて飛び上ったのであった。
……その時に正木博士は、やはり、今日と同じように離魂病の説明を聴かしてくれたのであるが、その説明は矢張《やは》り真実であったのだ。
……とはいえ……その時に、あまりに深い幻覚に囚《とら》われていたために、それを信ずる事が出来なかった私は、それから正木博士と対座して、あの通りの議論をした揚句に、正木博士をメチャクチャに遣っ付けてしまった。トウトウ本当に自殺の決心をさせてしまったのであった。
……けれども私は、そんな事とは気付かないままこの室に居残って、この絵巻物の一番おしまいに書いてある千世子の和歌を発見した。そうして今日の通りに驚いて外に飛び出して、福岡の町々を歩きまわっているうちにこの室に拡げたままにして来た絵巻物の事を思い出して、又も、きょうの通りに無我夢中で飛んで帰ったのであった。……もしかすると正木博士は、後で今一度この室に引返して来て、拡げたままの絵巻物のおしまいに書いてある千世子の和歌を発見したのかも知れない。そうして、そこでイヨイヨの覚悟を決めたのかも知れないけれども…………。
……そうした出来事を一箇月後の今日になって、私は又、その通りの暗示の下に、寸分|違《たが》わず正確に繰り返しつつ夢遊して来たに過ぎないのだ。……否……事によると、今朝あんなに早く、時計の音に眼を醒ました事からして一種の暗示に支配されていたのかも知れない……若林博士がホンノ思い付きで云った「一箇月後」という言葉をその通りに記憶していた私の潜在意識が、その一箇月後の今朝になってキッカリと私を呼び醒ましてくれたのかも知れない……が……いずれにしても今日の午前中、私が色んな書類を夢中になって読んでいるうちに、若林博士がコッソリと立ち去った後にはこの室の中に誰も居なかったのだ。正木博士も、禿頭《はげあたま》の小使も、カステラも、お茶も、絵巻物も、調査書類も、葉巻の煙も何もかも、みんな私の一箇月前の記憶の再現に過ぎないのだ。たった一人で夢遊中の夢遊を繰返していたに過ぎなかったのだ。
……私の頭は、そこまで回復して来たまま、同じ処ばかりをグルグルまわっているのだ。
……そうでないと思おうとしても、そうした不思議な事実の証拠の数々が、現在、生き生きと私の眼の前に展開して、私に迫って来るのをどうしよう。ほかに解決のし方がないのをどうしよう……。
……若林博士は、そうした私の頭を実験するために、一箇月前と同じ手順を繰り返しつつ、私をこの室に連れ込んだものに違いない。そうして多分一箇月|前《ぜん》もそうしたであろう通りに、どこからか私を監視していて、私の夢遊状態の一挙一動を細大洩らさず記録しているに違いない……否々……否々……きょうは、大正十五年の十一月二十日、と云った若林博士の言葉までも嘘だとすれば、私はもっともっと前から……ホントウの「大正十五年の十月二十日」以来、何度も何度も数限りなく、同じ夢遊状態を繰り返させられている事になるではないか……そうしてその一挙一動を記録に残されている事になるではないか………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
……オオ……若林博士こそ世にも恐ろしい学術の権化《ごんげ》なのだ。……精神科学の実験と、法医学の研究とを同時に行っている……。
……極悪人と名探偵とを兼ねている……。
……正木博士と、呉家の運命と、福岡県司法当局と、九大の名誉と……この事件に関する出来事の一切合財をタッタ一人で人知れず支配し、飜弄している……。
……そうして知らん顔をしている怪魔人…………。
[#ここで字下げ終わり]
 私は云い知れぬ戦慄が、全身の皮膚を暴風のように這いまわり、駆けめぐるのを感じ初めた。歯の一枚一枚がカチカチと打ち合うのを止める事が出来なくなった。……部屋の中の全体がどことなく、大きく開いた若林博士の口腔の恰好に似て来たように思いつつ……そのま
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