おりましたが人格の高い方でしたから責任観念も強かったのでしょう。云々。


   姪の浜の大火[#「姪の浜の大火」は本文より4段階大きな文字]
     名刹《めいさつ》如月寺《にょげつじ》に延焼[#「名刹《めいさつ》如月寺《にょげつじ》に延焼」は本文より6段階大きな文字]
            放火女無残の焼死を遂《と》ぐ[#「放火女無残の焼死を遂《と》ぐ」は本文より3段階大きな文字]


 本日午後六時頃福岡県早良郡姪の浜一五八六呉ヤヨ方母屋奥座敷より発火し、人々驚きて駆け付ける間もなく打ち続く晴天と折柄《おりから》の烈風に煽《あお》られて火勢|忽《たちま》ち猛烈となり、数棟の借家を含みたる同家は見る見る一団の大火焔に包まれると見る中《うち》に程近き如月寺《にょげつじ》本堂裏手に飛火《とびひ》し目下盛んに延焼中であるが、遠距離の事とて市中の消防は間に合わず、附近の消防のみにては手に余る模様である。而《しか》して右放火者と認めらるる呉ヤヨ(前記呉一郎伯母四〇)は寺院本堂の猛火に飛び入り衆人環視の裡《うち》に無残の焼死を遂《と》げたが、同女は今春、ただ一人の娘を喪《うしな》いたる際より多少精神に異状を呈しおりたるところ、本日又最愛の甥一郎が変死した噂が同地方に伝わっていたのを耳にしたために一層錯乱昂奮してこの始末に及んだものであろうと。

       ――――――――――――――――――――

 この号外から顔を上げた私は、頭を押え付けられたようになったまま、オズオズとそこいらを見まわした。
 すると間もなく、すぐ鼻の先に拡げられた青い風呂敷のまん中に、今まで号外の下になっていたらしい一枚のカードみたようなものが見つかった。……オヤ……まだこんなものが残っていたのか……と思い思い立ち上って覗き込んでみると、それは一枚の官製|端書《はがき》の裏面で見覚えのある右肩上りのペン字が、五六行ほど書きなぐってあった。
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┌────────────────────┐
│  面目無い              │
│                    │
│  S先生と酒を飲んだのも僕だ     │
│  生れかわって遣り直す        │ 
│  忰《せがれ》と嫁の将来を頼む         │
│     二十日午後一時    Mより │
│  W兄 足下             │
└────────────────────┘
[#ここで字下げ終わり]

 私の手から号外が力なくヒラヒラと辷《すべ》り落ちた。それと同時に室《へや》全体が、私の身体《からだ》と一緒にだんだんと地の底へ沈んで行くように感じた。
 私はヨロヨロとよろめきながら立ち上った。吾《われ》ともなくヨチヨチと南側の窓に近付いた。
 向うの屋根から突き出た二本の大煙突の上に満月がギラギラと冴え返っている。その下に照し出された狂人の解放治療場は闃寂《げきせき》として人影もなく、今朝《けさ》までは一面の白砂ばかりの平地に見えていたのが、今は処々に高く低く、枯れ草を生やした空地となって、そのまん中に、いつの間にか一枚も残らず葉を振い落した五六本の桐の木が、星の光りを仰ぎつつ妙な枝ぶりを躍らしている。
「……不思議だ……」
 と独語《ひとりごと》を洩らしつつ頭に手を遣《や》って見ると……又も不思議……今朝から私が感じていた奇怪な頭の痛みは、どこを探しても撫でまわしてもない。拭いて取ったように消え失せていた。
 私はその痛みの行衛《ゆくえ》を探すかのように、片手で頭を押えたまま、黄色い光線と、黒い陰影《かげ》の沈黙《しじま》を作っている部屋の中を見まわした。そうして又、白金色《プラチナ》に冴え返っている窓の外の月光を見た……………………………………………………………………………。
 ……その時であった……。
 ……一切の真相が、氷のように透きとおって、私の前に立ち並んで見えて来たのは…………………………………………………………………………………………………。
[#ここから1字下げ]
……不思議ではない。
……チットモ不思議ではない。
……私は今朝《けさ》から二重の幻覚に陥っていたのだ。正木博士の所謂《いわゆる》離魂病にかかっていたのだ。
……私は今から一箇月前の十月二十日にも、やはり、きょうとソックリの夢遊を行ったに違いないのであった。
……その一箇月前の十月二十日の早朝の、やはりまだ真暗《まっくら》いうちのこと……私は彼《か》の七号室のタタキの上に、今朝の通りの姿で寝ていて、今朝の通りの状態で眼を見開いたのであった。自分の名前を探すべくウロタエまわったのであった。
それから……若林博士に会って、私の過去の記憶を回復すべく、今朝の通りの実験を色々
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