が片附けたものか、旧《もと》の通りにキチンと置き並べてあった。今朝《けさ》若林博士と一緒に這入って来て、初めて見た時の並び具合と一分一厘違わず……いじり散らした形跡なぞは微塵《みじん》もないように見えた。その横に座っている赤い達磨《だるま》の灰落しも、今朝最初に見た時の通りの方向を向いて、永遠の欠伸《あくび》を続けているのであった。
尤《もっと》もその中《うち》でもカンバス張りの厚紙に挟まった「狂人の暗黒時代」のチョンガレ歌や「胎児の夢」の論文なぞいう書類の綴込《つづりこ》みだけは、よく見ると確かに誰かが、ツイこの頃手を触れているらしく、少し横すじかいのX形に重なり合ったまま、投出されているようであるが、もう一つの方の、今日の午前中に正木博士が私の眼の前で塵を払ったに相違ない、青いメリンスの風呂敷包みの上には、やはり初めて見た時の通りに、灰色の細かい埃が一面に被《かぶ》さっていて、久しく人間の手が触れていない事を証拠立てている。そのほか大|卓子《テーブル》の上には、茶を飲んだ形跡《あと》もなければ、物を喰べた痕跡《なごり》もない。念のために、赤い達磨の灰落しを覗いてみると、中には葉巻の灰の一片すらなく、相も変らぬ大欠伸を続けたまま、黄金色《きんいろ》と黒の瞳でグリグリと私を睨み上げている。
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……不思議だ……きょうの午前中の出来事の大部分は夢だったのか知ら。……私は確かにあの風呂敷包みの内容《なかみ》を見たのだが……僅かの間に、あんなに埃がたかる筈はないわけだが……。
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私はやおら立上った。膝頭が気味悪くブラブラして脱け落ちそうになるのを、大|卓子《テーブル》の縁に突いた両手で辛《かろ》うじて支えながら、綿のような身体《からだ》を無理矢理に引立てた。ヒクヒクと戦《わなな》く指でメリンスの風呂敷包みを掴んで引寄せると、あとに四角い埃のアトカタがクッキリと残った。その結び目に落込んでいる埃の縞《しま》を今一度よく見たが、どう考えても最近に人の手が触れた形跡はない。そうして、その結び目を解いている中《うち》に、白い埃の縞は跡型もなく消え飛んでしまったのであった。
私は唖然となった。
眼の前の空間を凝視《みつめ》たまま、今朝《けさ》からの記憶を今一度頭の中で繰り返して見た。けれども、この風呂敷の中のものを正木博士から見せられて、あの恐ろしい説明を聞いた記憶と、この結び目の白い埃は永久に両立しない二つの事実に相違なかった。正確に矛盾した二つの出来事であった。
私は全身に伝わる悪感《おかん》を奥歯で噛み締めながら、尚《なお》もワイワイと痙攣する両手の指で、青い風呂敷包みを引き拡げた。するとその中から最前見た通りの新聞紙包みと、若林博士の調査書類の原本とがやはり最近見た通りの形にキチンと重なり合って出て来た。それ許《ばか》りでなくメリンスの目から洩れ込んだ細かい埃は、調査書類の原本の表紙になっている黒いボール紙の上にもウッスリと被《かぶ》さっていて、絵巻物の新聞包みを取除《とりの》けると、又も長方型のアトカタがクッキリと残った。
私は又も唖然となった。余りの不思議さに狐に抓《つま》まれたようになりつつ、自分が正気でいるか如何《どう》かを確かめるような気持ちで、まず絵巻物の新聞包みをソロソロと開いた。その新聞紙の折れ具合、箱の蓋の合い加減、巻物の捲《ま》き様《よう》、紐の止め方まで細かに調べてみたが、余程几帳面な人間の手で蔵《しま》い込んであったものらしく、どこもここもキチンとしていて、二重に折れ曲った処や、折目の歪《ゆが》んだ処は一個所もないのみならず、巻物を繰り拡げて見ると、防虫剤らしい、強い香気を放つ白い粉が、サラサラと光って机の上に散り落ちた。次に開いた調査書類も同様で防虫剤こそ施《ほどこ》してないが、パラパラと頁《ページ》を繰って行くうちに、埃臭い香《かおり》がウッスリと鼻に迫って来る。いずれにしても最近に人の手が触れなかった事は確かである。
私はそれから尚《なお》念のために、フールスカップを綴じ合せた正木博士の遺言書を開いて見た。そうして最後の二三頁を繰り返して見たが、今朝《けさ》まではインキが乾いて間もない、青々としたペンの痕跡《あと》に見えたのが、今はスッカリ真黒くなって、行と行との間には黄色い黴《かび》さえ付いているようである。どう見ても二日や三日前に書いたものとは思えないのであった。
私は不思議から不思議へ釣り込まれつつ、最前正木博士がした通りにその調査書類を風呂敷の外へ抱え出してみた。すると意外にもその下に、一枚の古ぼけた新聞の号外が下敷になっているのを発見した。これは最前、正木博士がこの風呂敷をハタイタ時には、確かに存在していなかったものであった。
私はキ
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