た顔面《かお》一パイに、蒼白い汗が輝やき流れて……額《ひたい》の皺を逆さに釣り上げて……乱脈な青筋をウネウネと走らせて……眼をシッカリと閉じて……義歯《いれば》をガッチリと喰い締めて……両手でシッカリと椅子の肱に掴まりながら、首と、肱と、膝を、それぞれ別々の方向にワナワナとわななかせて……。
 ……コトコトコトコトコトコトと扉《ドア》をたたく音…………。
 ……私はドタリと廻転椅子に落ち込んだ。
 何かの宣告のような……地獄の音《おと》づれのような……この世のおわりのような……自分の心臓に直接に触れるようなそのノックの音を睨み詰《つめ》て聾唖者《おし》のように藻掻《もが》き戦《おのの》いた。……扉《ドア》の向うに突立っている者の姿を透視しようとして透視出来ないまま……救援を叫ぼうにも叫びようがないまま……。
 コツコツコツコツコツ……。
 ……と……やがて正木博士が、全身の戦慄を押し鎮めるべく、一層烈しく戦慄しながら、物凄い努力を初めた。……すこしばかり身体《からだ》をゆるぎ起して、桃色に充血した眼を力なく見開いた。灰色の唇をふるわして返事をすべく振り返ったが、その声は、痰《たん》に絡まれたようになって二三度上ったり下ったりしたまま、咽喉《のど》の奥の方へ落ち込んで行った。……と思ううちに見る見る椅子の中に跼《かが》まり込んで死人のようにグッタリと首を垂れてしまった。
 コツコツコツ……コトコトコトコト……コツンコツンコツンコツン……。
 私はこの時、自分で返事をしたような気がしない。何だか鳥ともつかず、獣《けもの》ともつかぬ奇妙な声が、どこからか飛び出して、室《へや》中に響き渡ったように思った。それと同時に頭の毛が一本一本にザワザワと走り出したように感じたが、そのザワザワが消えないうちに、入口の扉が半分ばかり開かれると、ガタガタと動く真鍮《しんちゅう》のノッブの横合いから、赤茶色のマン丸いものがテカテカと光って現われた。それは最前カステラを持って来た老小使の禿頭《はげあたま》であった。
「……ヘイヘイ……御免なさいまっせい。お茶が冷えましつろう。遅うなりまして……ヘイヘイ……ヘイ……」
 と云い云いまだ湯気を吹いている新らしい土瓶を大|卓子《テーブル》の上に置いた。そうして只さえ弓なりに曲った腰を一層低くして、白く霞んだ眼をショボショボとしばたたきながら、皺だらけの首をさし伸べて恐る恐る正木博士の顔を覗き込んだ。
「……ヘヘ……ヘイヘイ。ちっと遅うなりまして……ヘイ……。昨晩《ゆうべ》からほかの小使がみんな休みまして、今朝から私一人で[#「今朝から私一人で」に傍点]御座いますもんじゃけん。ヘイ。まことに……」
 老小使の言葉がまだ終らないうちに、正木博士は最後の努力かと思われる弱々しい力で、椅子からヒョロヒョロと立ち上った。死人のように力無い表情で私を振り返って、何か云いたそうに唇を引き釣らせつつ、微《かす》かに頭を左右に振ったようであったが、忽《たちま》ち涙をハラハラと両頬に流すと、私に目礼をするように眼を伏せて、又も頭をグッタリとうなだれた。そうして小使が明け放しておいた扉《ドア》の縁に捉まりながらフラフラと室を出て行ったが、今にも倒れそうによろめきつつ、入口の柱に手をかけて、ようやっと、廊下の板張りの上に立ち止まった。するとその後から追いかけるようにギイギイと閉まって行った扉《ドア》が、忽ちバラバラに壊れたかと思うほど烈しい音を立てると、室中の硝子《ガラス》窓が向うの隅まで一斉に共鳴して、ドット大笑いをするかのように震動し、鳴動し、戦慄した。
 そのあとを振り返って見送っていた小使は、やがてオズオズとこちらに向き直りながら、呆れたように私を見上げた。
「……先生は……どこか、お加減が、お悪いので……」
 私も最後の努力ともいうべき勇気を振い起して、無理に、泣くような笑い声を絞り出した。
「ハハハハハ。何でもないんだよ。今チョット喧嘩をしたんだ。……ツイ先生を憤《おこ》らしちゃったんだ。心配しなくともいいよ。じきに仲直りが出来るんだから……」
 と云ううちに両方の腋の下から、冷たい水滴がバラバラと落ちた。嘘を云うのがこんなにタマラないものとは知らなかった。
「……ヘエイ……左様《さよう》で御座いましたか。それならば安堵《あんど》致しました。はじめてあのようなお顔をばお見上げ申しましたもんじゃけん……ヘイヘイどうぞ御ゆるりと、なさいまっせえ。私一人で誠に行き届きまっせんで……ヘイ。先生はホンニよいお方で御座います。ようお叱りになりますが、まことに御親切なお方で……それに昨日からは又[#「それに昨日からは又」に傍点]、あの解放治療場で大層もない御心配ごとが出来まして[#「あの解放治療場で大層もない御心配ごとが出来まして」に傍
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