らい大学生大持ての時代であった。一般家庭でも『学士様なら娘を遣るか』といった調子で、紅葉山人の金色夜叉《こんじきやしゃ》や、小杉天外の魔風恋風《まかぜこいかぜ》が到る処にウロウロしていた。WもMもこれに紛れてT子嬢を張合った訳だが、その結果がどうなったかというと、矢張《やは》り遺憾なく二人の特徴を発揮している。
 ……まず最初のうちはWが勝利を占めた。何しろWはその当時の角帽連の中でも、特別|誂《あつら》えの好男子、兼秀才で、おまけに物腰が応揚《おうよう》で、叮嚀で、透きとおる程親切……だという、この方面に対する絶好の条件ばかり、倶有《ぐゆう》していたんだから敵《かな》わない。手もなくタタキ付けられた揚句《あげく》、到底二人の仲には歯が立たぬものと諦らめさせられたMは、学業も何も放り出して、野山を馳けめぐって、化石なぞを探しながら、辛《かろ》うじて或る気持を慰めていた。
 ……しかも一方にWは、決して成功の美酒に酔い痴れるような単純な男ではなかった。T子を手馴付《てなづ》けてしまうと間もなく、兼ねての計劃どおりに『貴女《あなた》の家系《いえすじ》に絡《まつ》わる、悪い因縁の絵巻物があるそうですが、それは今の中《うち》に、よく調査してみようではありませんか。そうして一番新らしい科学の知識で研究して、その悪因縁を断ち切っておこうではありませんか。そうしないと、もし二人の間に男の児《こ》が生まれるような事があった時に、剣呑《けんのん》な思いをしなければなりませんから』といったような塩梅《あんばい》式に、言葉を巧みにして絵巻物を手に入れようとした。……けれども流石《さすが》のT子さんも、こればかりは手離しかねたと見えて『そんなものは知りません』と云うのでナカナカ出さない。第一その絵巻物を隠している場所が判らないので、今度は手段《て》を変えてT子を福岡へ連れ出しにかかった。連れ出しさえすればキット、その絵巻物を持って来るに違いない……というのがWの見込みであったろう事は云う迄もない。
 ……すると又都合のいい事には、T子の姉婿のGという京染|悉皆屋《しっかいや》が、仕様のないニヤケ男の好色《すけべい》野郎で、婿入りをすると間もなく、義妹《いもうと》のT子に云い寄りはじめて、恐ろしく執拗《しつこ》いので困っている矢先だったから、Wに誘いをかけられたT子は二つ返事で家《うち》を飛出して、福岡でWとコッソリ同棲する事になった。一方に姉のY子もハッキリかウスウスかそんな事情を心得ていたらしく、あまり追求しなかったのでイヨイヨ好都合であったが、しかし肝腎カナメの絵巻物の所在は依然として不明であった。彼Wの眼力を以てしても、果してT子が絵巻物を持っているか、いないかすら看破し得ない有様であったらしい。
 ……しかしWは失望しなかった。なおもT子の身のまわりを探ると同時に、時折は学校の仕事を放《ほ》ったらかしてまでもT子の行動を附けまわしていたのであったが、これはWとしては無理もない事であった。T子が、如月寺の和尚様と、自分の姉のY子以外には誰も気付まいと思って使っていた『虹野ミギワ』の変名や、品評会に出した支那古代の刺繍なぞが、絵巻物の故事来歴を知り抜いている彼Wの眼を逃れ得よう筈はないので、どうしてもT子がどこかに隠し持っているに違いないという推測は、当然過ぎるくらい当然な推測であった。
 ……しかし一方に、怜悧そのもののようなT子自身も、そうしたWの態度の中から、窃《ひそ》かに或る事を察していた。
 ……つまりハッキリとはわからないが、Wが自分に近付いて来た目的が単純ではないらしい。事によるとその目的は絵巻物かも知れない。そうしてその絵巻物を欲しがる目的は……といったような漠然たる疑いを抱くようになったものらしいが、しかし、そんな疑いを抱いている気ぶりも見せないように気を付けていたので、流石《さすが》のWも歯が立たなくなった。全く立往生の姿にされてしまったらしい。……のみならずその中《うち》にWは又、それ以上の手厳しい打撃を受けて、涙を呑んで退却しなければならぬ破目《はめ》に陥った。すなわち絵巻物探索の唯一無上の手がかりとして、手を換え、品を変えて機嫌を取っていたT子から、抵抗不可能ともいうべき自分の急所に、思いもかけぬ肘鉄砲を一発ズドンと喰わされたのであった。
 ……というのは別の事でもない。T子が相手の恋を敵本主義の裏打ちものとウスウス感付いていた事は、今話した通りであるが、今一つにはそのWが、甚しい肺病の家筋で、本人の体質がその事実を遺憾なく証明している事を、その頃になって初めて聞き知ったからで、この点についてWはT子に対して全然、事実を偽っていた事が、同時に判明したからであった。……しかも、これは余談ではあるが、こうした事実に照してみる
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