げて、滝のように迸《ほとばし》り出て来る正木博士の言葉を遮《さえぎ》り止めた。得意に輝く骸骨ソックリの顔を仰ぎつつ、廻転椅子の上に座り直して問うた。
「……ちょっと……待って下さい。……しかし……先生の、そうした治療の実験は、純粋な学術研究の目的でなさるのですか、それとも……」
「……無論……むろん純粋の学術研究を目的としているんだよ。精神病の治療というものはこうするものだ……という事を、洽《あま》ねく全世界のヘゲタレ学者たちに……」
「マ……待って下さい。そうじゃありません。僕がお尋ねしているのは……」
「……何だ……」
正木博士は不満そうに眼の球を凹《へこ》ました。肩を一つ揺り上げて椅子の背に反《そ》り返った。
「僕がお尋ねしようと思っている事は、こうなんです。呉一郎を発狂さした暗示が、この絵巻物だって事は、まだ誰も知らないでいるんですね」
「……ア。その話はまだ、しなかったっけね。無論、誰も知ってやしないよ。司法当局の奴等だって知らないも同然だよ。テンデ問題にしていないんだからね」
正木博士は又、ツルリと顔を撫でまわして、鼻眼鏡をかけ直した。
「最前からも話した通り、この絵巻物は、呉一郎の伯母の八代子が、土蔵の二階から取って来て隠していたのを、若林が睨んで捲上げて、そのまんま吾輩に引渡したものだから、若林と吾輩以外にこの絵を見た者は君だけだ。裁判所や警察の連中は、八代子が現場の机の上の、この絵巻物が置いてあった所に、自分の鼻紙を拡げておいたので、見事に一パイ喰わされている上に『迷宮破りの若林博士が、事件の真相の説明に窮して迷信を担《かつ》ぎ出した』と云って笑っているそうだ。たしかその当時の新聞の編輯余録といったような欄の中に、素破抜《すっぱぬ》いてあったと思うが……却《かえ》って仙五郎爺から巻物の話を聞いた村の者が、色んな事を云っているそうだ。一郎が夢のお告《つげ》を受けて石切場に行ったら、巻物が高岩の蔭に置いてあったんだとか、その時がちょうど日暮狭暗《ひぐれさぐれ》の逢魔《おうま》が時《とき》だったとか云ってね……又、そんな迷信を担がない連中は、誰かモヨ子に惚れ込んでいた奴が、叶《かな》わぬ恋の意趣晴らしに、古い云い伝えから思い付いて、一郎にコンナ悪戯《いたずら》をしかけたのが、マンマと首尾よく図に当ったんだとか何とか……」
「アッ……」
と私は突然に叫んで立上りかけた。大|卓子《テーブル》の端に両手を突張って、穴の明くほど正木博士の顔を見た。正木博士も私の叫び声に驚いたらしく、吐きかけた煙を頬張ったまま、眼を丸くした。
私の呼吸と胸の動悸が、見る見る息苦しく高まって来た。
[#ここから1字下げ]
……わかった。わかった……正木博士が、何気もなく云ったらしい一言が、事件の真相らしいものをチラリと私の頭に閃《ひら》めかしてくれた……。
……私という人間は、一件記録の上には出ていないけれども、やはり呉青秀の血を引いた、呉一郎と瓜二つの青年に違いないのだ。
……二人の博士は、千世子が一人しか子を生んでいないという屍体解剖の結果によって、そんな事実の存在を否認しているようだけれども、事によると、それは私をこの実験にかけるための一つのトリックに過ぎないかも知れない。真実の私の過去は、やはり呉一郎と双生児《ふたご》で、幼い時に何かの理由で別れ別れになっていたその片割《かたわれ》かも知れないのだ。
……それが人知れず故郷に帰って来て、人知れずモヨ子を恋していた。或《あるい》は呉一郎と瓜二つなのを利用して、真物《ほんもの》の呉一郎に覚られないように絡み合って、奇抜巧妙な二人一役を演じながら所在《ありか》を晦《くら》ましていたものかも知れない。そうしてその中《うち》に、呉家に絡《まつ》わる不思議な因縁話を聞き知って、呉一郎の結婚式の前日に、こんな残虐を試みた。……それがこの私であったのだ。
……けれども、そうした私自身も、呉青秀の心理遺伝を受け継いでいたために呉一郎と同時にか、又は相前後して、同じような発狂をしたために、真物《ほんもの》の呉一郎と入れ違ってしまったのだ。ドッチがドウなのか本人同志にも解らなくなってしまったのだ。
……正木、若林の両博士は、それを見別けようとしているのだ。被害者と加害者を鑑別しようとして苦心しているのだ。
……そうだ。そう考えれば疑問の根本が立派に解ける。そうだ。それに違いない。それに違いない。それ以外に一切の不思議の解決方法がないではないか。
……ああ。私はやはりこの事件の神秘の正体であったか。……ああこの私が……。
[#ここで字下げ終わり]
一瞬間にコンナ事を考え廻らしつつ魘《おび》え、わなないている私の顔を、椅子の上に反《そ》り返った正木博士は依然として微笑を含みつつ眺めていた。そうして私の
前へ
次へ
全235ページ中194ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング