んだ。危くまた引っくり返るところであったが、そのうちに、ようようの思いで気を取り直して、どうしてここに……と抱き上げながら、その少女を頭のテッペンから、爪の先までヨクヨク見上げ見下してみると、何の事だ……それは黛夫人の妹で、双生児《ふたご》の片われの芬子《ふんこ》嬢であった」
「ナアンダ。やっぱりそうか。しかし面白いですね。芝居のようで……」
「どこまでも支那式だよ。そこでヤット仔細《わけ》がわかりかけた呉青秀は、芬子さんを取り落したまま、開《あ》いた口が閉《ふさ》がらずにいると、その膝に両手を支えた芬子さん、真赤になっての物語に曰《いわ》く……ほんとに済まない事を致しました。嘸《さぞ》かしビックリなすった事で御座んしょう。何をお隠し申しましょう。妾《あたし》はズット前からタッタ一人でこの家《うち》に住んでいて、姉さんが置いて行った着物を身に着けて、スッカリ姉さんに化け込みながら、毎日毎日お義兄《にい》さまに仕える真似事をしていたんです。……妾の主人の呉青秀はこの頃毎日|室《へや》に閉じ籠って、大作を描いておりますと云い触らして、食料も毎日二人前|宛《ずつ》、見計《みはか》らって買い入れるし、時折りは顔料《えのぐ》や筆なぞを仕入れに行ったりして誤魔化《ごまか》していましたので、近所の人々は皆《みんな》……この天下大乱のサナカに、そんなに落ち付いて絵を描《か》くとは、何という豪《えら》い人だろうと……眼を丸くして感心していた位です。……妾はそんなにまでして苦心しいしい、お二人のお留守番をして、お帰りになるのを今か今かと待ちながら、この一年を過したのですが、今日も今日とてツイ今しがた、買物に行って帰って来ますと、この室《へや》に物音がします。その上に誰か大きな声でオイオイ泣いているようなので、怪しんで覗いて見たら、お義兄《にい》さまが死のうとしていらっしゃるのでビックリして、そのままの姿で抱き止めたのです。それから気絶なすった貴方を介抱しておりますと、弛《ゆる》んだ貴方の懐中《ふところ》から、固く封じた巻物らしい包みと、姉さんが大切にしていた宝石や髪飾りが転がり出して来ました。それと一緒に貴方が夢うつつのまま、どこかを拝む真似をしながら……黛よ。許してくれ。お前一人は殺さない……と泣きながら譫言《うわごと》を仰言《おっしゃ》ったので、サテは姉さんはモウお義兄《にい》さまの手にかかって、お亡くなりになったのだ……そうしてお義兄《にい》様は妾を姉さんの幽霊と間違えていらっしゃるのだ……という事がヤット解りましたから、お義兄《にい》さまの惑いを晴らすために、急いで自分の一帳羅《いっちょうら》服に着かえてしまったのです。……ですが一体お義兄《にい》さまは、どうして黛子姉さんをお殺しになったのですか。そうして今日が日まで一年もの長い間、どこで何をしていらっしたんですか……と涙ながらに詰め寄った」
「ハア……しかし何ですね。……その前にその芬子という妹は、何だってソンナ奇怪《おかし》な真似をしたんでしょうか。姉さんの着物を着て、その夫に仕える真似事をしたりなんか」
「ウンウン……その疑問も尤《もっと》もだ。呉青秀もやっぱり同感だったろうと思われるね。それともまだ開《あ》いた口が塞《ふさ》がらずにいたのかも知れないが、何の答えもあらばこそだ。依然として芬子嬢の顔を見下したまま唖然《あぜん》放神の体《てい》でいると、やがて涙を拭いた芬子嬢は、幾度もうなずきながら又|曰《いわ》く……御もっともで御座います。これだけ申上げたばかりではまだ御不審が晴れますまいから、順序を立ててお話しましょうが……お話はずっと前にさかのぼって丁度去年の暮の事です。……姉さんが宮中を去ってからというものは、外《ほか》に身寄り便《たよ》りのない妾の淋しさ心細さが、日に増し募《つの》って行くばかりでした。そのうちに又、ちょうど去年の今月の、しかも今日の事……大切な大切なお義兄《にい》さま達御夫婦が、外《ほか》ならぬ妾にまでも音沙汰《おとさた》なしで、不意に行衛《ゆくえ》を晦《くら》ましておしまいになったと聞いた時の妾の驚きと悲しみはどんなでしたろう。一晩中寝ずに考えては泣き、泣いては考え明かしましたが、思いに余ったその翌る日の事、楊貴妃様から暫時《しばし》のお暇を頂いた妾は、お二人の行衛を探し出すつもりで、とりあえずこの家に来て見ました。そうして妾を見送って来た二人の宦官《かんがん》と、家《うち》の番をしていた掃除人を還《かえ》してから、唯一人で家内の様子を隈なく調べてみますと、姉さんは死ぬ覚悟をして家を出られたらしく、結婚式の時に使った大切な飾り櫛を、真二つに折って白紙に包んだまま、化粧台の奥に仕舞ってあります。けれども義兄《にい》さんの方は、そんな模様がないばかりか、絵を
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