ている。そのためにその二人が混線してしまって、ドッチがドッチだか解らなくなったのを、二人の博士が競争で見分けようとしてウンウン云っているが、どうしても解らない。とうとう苦し紛《まぎ》れに、そのドッチかの許嫁《いいなずけ》であった少女をそのドッチかにくっつけ[#「くっつけ」に傍点]て結論にして、その手柄を自分のもの[#「もの」に傍点]にすべく、あらゆるペテンを尽して鎬《しのぎ》を削っている……というような、途方もなく愉快奇抜な筋書とも見れば見られるではないか。……面白いな……いよいよソンナ事に違いないと決定《きま》れば二人の博士が私の敵《かたき》だろうが味方だろうが、その二人が私にかけているダマシの手段が、如何に巧妙な恐ろしいものであろうが、チットモ恟々《びくびく》する事はない。是非とも私自身にこの事件の正体がわかるところまで突込んで行かなければ嘘だ。そうして事件の真相をトコトンまで抉《えぐ》り付けて、あの少女をこのキチガイ地獄から救い出して、二人の博士の鼻を明したら、どんなにか痛快至極だろう……」
[#ここで字下げ終わり]
……というような、無暗《むやみ》に大胆な、浮き浮きした気分にかわってしまったのであった。……室《へや》の中の爽快な明るさ……窓一パイの松の青さ……その中に満ち満ちている白昼の静けさなぞが、今更に気持ちよく、身に沁《し》みて来たのであった。
しかし、こんな風に私の頭の中が変化してしまったのはほんの数秒の間の事であったように思う。間もなく吾に帰ってみると、正木博士は、そうした私の顔を鼻眼鏡|越《ごし》にニヤリと眺めながら頭のうしろに両手をまわして反《そ》りかえっていた。私の質問を待っているかのように……。
私はちょっと間誤付《まごつ》いた。どっちにしても質問したい事があんまり多過ぎるので……しかし、どこからでも構わない気で、眼の前の遺言書を取り上げてバラバラと繰って行くうちに、やがて事件記録抜萃の一番おしまいの処まで来ると、そこを指して正木博士に見せた。
「この……絵巻物の写真版と、その由来記を挿入のこと……と書いてあります。その本物は、どうなっているのですか」
「アッ。そいつは……」
と云い終らぬうちに正木博士は両手を卸して、大|卓子《テーブル》の端をドシンと叩いた。
「……そいつはうっかりしていたよ。ハッハッハッ。君の記憶を回復させようというので夢中になっていたもんだから、カンジンカナメのものを見せるのを忘れていた。そいつを見なくっちゃ呉一郎の心理遺伝の正体はわからない。吾輩の遺言書も、仏作って魂入れずだ。ハハハハハハ……イヤ失敗失敗。睡眠不足で頭が少々御座ったかナ……イヤ。早速お眼にかけよう。コレ……ここにあるがね」
正木博士はこう云って頭を掻きつつ、片手を伸ばして横に在るメリンスの風呂敷包みを引き寄せた。手早く結び目を解いて、中から長方形の新聞包みと、厚さ二寸位の西洋大判罫紙《フールスカップ》の綴込《つづりこ》みを抱え出すと、わざわざ北側の窓の処まで持って行って風呂敷をハタイた。
「……プッ……プップッ……どうもヒドイホコリ[#「ホコリ」に傍点]だ。長い事ストーブの穴に放り込みっ放しだったもんだからね。……ところで見給え。この綴込みが姪の浜事件に関する若林の調査書で、君が読んだその抜萃の原本だ。あの肺病患者特有の冴え返った神経で、二重にも三重にも、透きとおるほど綿密に調べ抜いてあるんだからトテモ遣り切れたものじゃない。だから読むにしてもいずれ後《あと》からユックリの事にしてもらって、今日は取り敢えずこの絵巻物と、その由来記を見てもらう事にしよう……ところでまず由来記の方から読んでもらうかナ。そのあとで絵巻物を見た方が面白いだろうからナ……」
こうした言葉の中《うち》に新聞の包みが開かれると、その中の白木の箱の上に置いてある日本紙一帖位の綴込みが、無雑作に私の前に投げ出された。
「それはこの絵巻物の奥付になっている由来記の写しだ。つまりこの如月寺《にょげつじ》の縁起|譚《ものがたり》の前に起った出来事で、今から凡《およ》そ一千百年前の大昔から初まった呉一郎の心理遺伝のソモソモが書いてあるんだが、君がそれを読んでいるうちに……ハテナ……これはズット以前にコンナ処でこうして読んだ事があるぞ……という事実をハッキリと思い出すか出さないかが、矢張《やは》り若林と吾輩の生死の別れ目になるんだ。ね。そうだろう。それを読んだ記憶が一分一厘でも君のアタマに残っておれば、君は呉一郎に相違ないのだからね……ハハハハ……とにかく読んでみたまえ。遠慮する事はない。素敵に面白い話だから……」
私はそれが如何に貴重な内容の書類であるかを百も承知していながら……しかもその書類によって正木博士が、私に試みつつある精神科学の
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