しないでニヤニヤを続けた。
「わかってるわかってる。弁解しなくともいい。君の方ではあの少女に恋なぞされるのは迷惑かも知れないが、まあ任せ給え。君があの少女を恋しているいないに拘わらず運命に任せ給え。そうしてその運命の結論をつけるべく、あらわれて来た君の頭の痛みと、あの少女とがドンナ関係に於て結ばれているかという話を聞き給え……少々取り合せが変テコだが。……そいつを聞いて行くうちには、法律と道徳のドッチから見ても、君とあの少女とは、或る運命の一直線上に向い合って立っていることがわかるからね。この病院を出ると同時に結婚しなければならぬ事が、一切の矛盾や不可思議が解けるにつれて、逐一判明して来るからね」
こうした正木博士の言葉を聞いているうちに、私は又も、ガックリとうなだれさせられてしまった……しかし、それは赤面してうつむいたのではなかった。その時の私の気持ちは赤面どころではなかった。正木博士の言葉の中に含まれている、あらゆる不可思議な事実の中から、私の現在の立場を解決すべき焦点を、どうして発見しようかと、又も一所懸命に眼を閉じ、唇を噛み締めたのであった。今朝《けさ》からの出来事を順々に、思い浮めては考え合せ、考え合せては分解してみたのであった。
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……正木、若林の両博士は、表面上無二の親友のように見せかけているが、内実は互いに深刻な敵意を抱き合っている仇讐《かたき》同志である。
……その仲違《なかたが》いの原因は、私と呉一郎を実験材料とした精神科学に関する研究から端を発しているらしく、今はその闘いが、白昼公々然とこの教室で行われる位にまで高潮して来ている。
……しかし、私とあの六号室の少女とを無理にも結婚させようとする意志だけは二人とも奇妙に一致しているようである。
……しかも、万に一つ私が、あの呉一郎と同一人か、もしくは呉一郎と同名、同年の、同じ姿の青年であって、あの少女が又、呉モヨ子に相違ないとすれば、実に変テコな事になるのだ。すなわち私達二人をその結婚の前夜に、或る精神科学的の犯罪手段に引っかけて、このような浅ましい運命に陥れたものは、この二人の博士以外に在り得ないように思われるではないか。……コンナ矛盾した事が又とほかに在り得ようか。
……尤《もっと》も強いて解釈をつけようとすれば付かぬ事もない。二人の博士は何等かの学理研究の目的で一人の少女と、双生児《ふたご》の片ッ方か何かとを、見ず知らずの赤の他人同志のまま、わざわざ精神病患者にして、或る念の入った錯覚に陥れて、二人が本気でクッ付き合うように仕向けている……と考えられぬ事もないが、併《しか》し、いくら何でもソンナ残忍不倫を極めた、奇怪千万な学理実験が、人間の心と、人間の手で行われ得るとは考えられない。
……そもそもこうした矛盾と不可解は、どこの行き違いから来たものであろう。
……二人の博士はドウシテこんなに私を中心にして騒ぎまわるのであろう……。
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……と……。
けれども、それは詰るところ無用の努力であった。そんな風に考えれば考えるほど一切がこんがらがって来て、推測すればする程不可解に縺《もつ》れ乱れて来るばかりであった。しまいには考える事も推測する事も出来なくなって、唯、眉をしかめて、唇を噛んでいる石像のような自分の姿を頭の中で想像しつつ、凝然と眼を閉じているばかりとなった……。
……コツコツ……コツコツ……扉をたたく音……。
私はギクンとして眼を見開いた、魘《おび》えたようになって入口の扉を見た。もしや若林博士ではないかと思って……けれども正木博士は見向きもしないで頬杖を突いたまま、ビックリする程大きな声を出した。
「オーイ……這入れエーッ……」
その声が室中《へやじゅう》に響き渡ると間もなく鍵穴をガチャガチャいわせて、扉を半分ばかり開きながら這入って来た者を見ると、それは九州帝国大学の紺のお仕着せを着たテカテカ頭の小使いであった。もう余程の老人らしく、腰を真二つに折り屈《かが》めていたが、右手に支えた塗盆《ぬりぼん》の上に煤《すす》けた土瓶と粗末な茶碗|二個《ふたつ》とを載せて、左手にはカステラを山盛りにした菓子器を捧げながら、ヨチヨチと大|卓子《テーブル》に近づいて、不思議そうな顔をして見ている正木博士の前に置いた。そうして何かに魘《おび》えているかのようにオドオドと禿頭《はげあたま》を下げたが、揉《も》み手をしいしい首を擡《もた》げて、正木博士と私の顔を霞んだ眼で等分にキョロキョロと見比べると、又一つ、床に手が届くくらい馬鹿叮嚀なお辞儀をした。
「ヘイヘイ、今日はまことによいお天気様で……ヘイヘイ……これはあの、学部長様からのお使いで、お二方《ふたかた》様のお茶受けに差し上げてくれいとの、お申し付けで御
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