。……エ――ト……何だったけな……ウンウン。星一つか……「星一つ、見付けて博士世を終り」か……ハハン……あまり有り難くないナ……ムニャムニャムニャムニャムニャ………………ムニャムニャムニャムニャムニャムニャムニャムニャムニャムニャムニャムニャムニャムニャムニャムニャムニャ…………………………………………………………………………ムニャムニャ ムニャムニャムニャムニャムニャムニャムニャ …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。

       ×          ×          ×

「どうだ……読んでしまったか」
 という声が、不意に私の耳元で起った……と思ううちに室の中を……ア――ン……と反響して消え失せた。
 その瞬間に私は、若林博士の声かと思ったが、すぐに丸で違った口調で、快濶な、若々しい余韻を持っている事に気が付いたので、ビックリして背後《うしろ》を振り向いた。けれども室の中は隅々までガランとして、鼠一匹見えなかった。
 ……不思議だ……。
 明るい秋の朝の光線が、三方の窓から洪水のように流れ込んで、数行に並んだ標本棚の硝子《ガラス》や、塗料のニスや、リノリウムの床に眩《まぶ》しく反射しつつ静まり返っている。
 ……チチチチチチチ……クリクリクリクリクリクリ……チチ……
 という小鳥の群が、松の間を渡る声が聞えるばかり……。
 ……おかしいな……と思って、読んでしまった遺言書をパタリと伏せながら、自分の眼の前を見るともなしに見ると……ギョッとして立ち上りそうになった。
 私のツイ鼻の先に奇妙な人間が居る……最前から、若林博士が腰かけているものとばかり思い込んでいた、大|卓子《テーブル》の向うの肘掛廻転椅子の上に、若林博士の姿は影も形もなく消え失せてしまって、その代りに、白い診察服を着た、小さな骸骨じみた男が、私と向い合いになって、チョコナンと座っている。
 それは頭をクルクル坊主に刈った……眉毛をツルツルに剃り落した……全体に赤黒く日に焦《や》けた五十恰好の紳士であるが、本当はモット若いようにも思える……高い鼻の上に大きな縁無しの鼻眼鏡をかけて……大きなへの字型の唇に、火を点《つ》けたばかりの葉巻をギュッと啣《くわ》え込んで、両腕を高々と胸の上に組んで反《そ》りかえっている……骸骨ソックリの小男……それが私と視線を合わせると、悠々と葉巻を右手に取りながら、真白な歯を一パイに剥《む》き出してクワッと笑った。
 私は飛び上った。
「ワッ……正木先生……」
「アハハハハハ……驚いたか……ハハハハハハハ。イヤ豪《えら》い豪い。吾輩の名前をチャンと記憶していたのは豪い。おまけに幽霊と間違えて逃げ出さないところはイヨイヨ感心だ。ハッハッハッハッハッ。アッハッハッハッ」
 私はその笑い声の反響に取り捲かれているうちに全身が、おのずと痺《しび》れて行くように感じた。右手に掴んでいた正木博士の遺言書をパタリと大|卓子《テーブル》の上に取り落した……と同時に、それを書いた正木博士の出現によって、今朝《けさ》からの出来事の一切合財がキレイに否定されてしまったような気がして、急に全身の力が抜けて来て、又も、元の廻転椅子の中へ、ドタンと尻餅を突いてしまった。幾度も幾度も唾液《つば》を呑みながら……。
 そうした私の態度を見ると、正木博士はいよいよ愉快そうに、椅子の上に反《そ》りかえって哄笑した。
「アッハッハッハッハッ。ヒドク吃驚《びっくり》しているじゃないか。アハハハハハ。何もそう魂消《たまげ》る事はないんだよ。君は今、飛んでもない錯覚に陥っているんだよ」
「……飛んでもない……錯覚……」
「……まだわからないかね。フフフフフ。それじゃ考えてみたまえ。君は先程……八時前だったと思うが……若林に連れられてこの室《へや》に来てから色んな話を聞かされたろう。吾輩が死んでから一箇月目だとか何とか……ウンウン……あのカレンダーの日附けがドウとかコウとか……ハハハハハ驚いたか、何でも知っているんだからな……吾輩は……。それから君がその『キチガイ地獄の祭文』だの『胎児の夢』だの新聞記事だの、遺言書だのを読まされているうちに、吾輩はもう夙《と》っくの昔の一箇月前に死んでいるものと、本当に思い込んでしまったろう……そうだろう」
「……………」
「アハハハハハ。ところがソイツは折角だが若林のヨタなんだ。君は若林のペテンにマンマと首尾よく引っかかってしまっているんだ。その証拠に見たまえ。その遺言書の一番おしまいの処を見ればわかる。ちょうどそこの処が開《あ》いているだろう。……どうだい……昨夜から吾輩が夜通しがかりで書いていた証拠に、まだ青々とした
前へ 次へ
全235ページ中158ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング