原因にて意識喪失後、絞首したるものと推定さる。尚《なお》処女膜には異常を認めず。(その他略)
◆備考[#「備考」は太字] (A)如月寺の本尊|弥勒《みろく》菩薩の座像を調査するに、頭大にして身小さく、形相怪異にして、後光も無く偏袒《へんたん》もせず。普通の法衣の如く輪袈裟《わげさ》をかけ、結跏趺座《けっかふざ》して弥勒の印《いん》を結びたるが、作者の自像かと思わるる節《ふし》あり。全体の刀法|頗《すこぶ》る簡勁《かんけい》、雄渾《ゆうこん》にして、鋸歯状《きょしじょう》、波状の鑿痕《さっこん》到る処に存す。底面中央に、極めて謹厳なる刀法を以て「勝空《しょうくう》」の二字を一寸角大に陰刻しあり。
 (B)中央の空虚は縦深一尺、横径三寸三分余の円筒型にして、上部、及、底部に詰めたる綿と、灰の厚さを差引く時は、高さ一尺六分強となり、絵巻物(別参考品)の体積と相違なく適合せり。尚、その蓋に当る首の根の方形部には糊付けの痕《あと》残存せるを見る。
 (C)灰を包みたる唐紙、及上下左右に詰めたるものと思しき綿を検するに、古色等、記録の時代と略《やや》相当するを認む。灰は検鏡分析の結果、普通の和紙と、絹布とを焼きたる形跡を認むるのみ。表装用の金糸、又は軸に用いられたるべき木材、その他の痕跡絶無也(その他略)
◆備考[#「備考」は太字] (一)姪浜《めいのはま》入口の国道沿い、海岸側に在る山裾の石切場附近を調査の結果、前日呉一郎が絵巻物を披見しつつ腰かけいたりという石は、切り残されたる粗石《あらいし》の蔭に位置しおりて、街道を通過する者の注意を惹《ひ》き難き個所に在り。
 (二)石切場内には大小無数の石片石塊と、石工《いしく》の作業の跡、及、街道より散入したる藁《わら》、紙、草鞋《わらじ》、蹄鉄片、その他凡百の塵芥《じんかい》類似の物のほか、特に注意すべき遺物を認めず。尚《なお》、小雨に洗われたるがためか、呉一郎その他一切の人物の足跡類似のものを認むる能《あた》わず。
 (三)平生、同所にて作業せる石工にして、姪浜町七五番地ノ一に居住せる脇野軍平は、前々日来、その妻女ミツ、及、養子格市と共に腹痛下痢を発し、流行病の疑《うたがい》を受けて交通を遮断されおりしが、日ならずして本服後、二人に問い試みしところを綜合するに、頃日来《けいじつらい》、作業中、疑わしき人物の石切場に立ち入り、又は附近を徘徊《はいかい》せしようの記憶無し。又同人等の疫病に関しては同所の魚類等は常に新鮮なるを以て、食物中毒等の原因は考慮し得ず。結局病原不明に帰せりと。
[#ここで字下げ終わり]

       ――――――――――――――――――――

 ◇ 絵巻物写真版挿入の事
 ◇ 右絵巻物由来記記入の事
 ◇ 右第二回の発作全般に亘る、観察研究事項記入の事

       ×          ×          ×

 ハッハッハッハッ……。
 ……どうです諸君。面喰いましたかね。
 これが吾輩の遺言書の中の最重要なる一部分なぞいうことは、もういい加減忘れて読んでいたでしょう。悲劇あり。喜劇あり。チャンバラあり。デカモノあり。これに加うるに有難屋《ありがたや》の宣伝もありという塩梅《あんばい》で、ずいぶん共にオカカの感心、オビビのビックリに価する、奇妙|奇天烈《きてれつ》な記録の内容でげしょう。殊にその心理遺伝のあらわれ方の奇抜なことは、真に、お負けなしの古今無類で、現代の所謂《いわゆる》常識や科学知識の如何なる虎の巻を引《ひっ》くり返して来ても到底歯が立ちそうにない。流石《さすが》の名法医学者若林鏡太郎博士も、この事件には少々|手古摺《てこず》ったと見えて、その調査書類の中に、こんな歎息を洩している。曰《いわ》く……
[#ここから2字下げ]
 余はこの事件の犯人を敢えて仮想の犯人と呼ばむと欲す。何となれば、当該事件の犯人は、現代に於ける一切の学術は勿論、あらゆる道徳、習慣、義理、人情を超越せる、恐るべき神変不可思議なる性格の所有者と想像する以外に、想像の余地なければなり。即ち、此《かく》の如く、僅々《きんきん》二箇年の間に、三名の婦人と一人の青年とを或《あるい》は殺し、或は発狂せしめて、その一家の血統を再び起つ能わざる迄に破滅せしむるが如き残虐を敢えてせるにも拘わらず、その残虐の遂行手段は、いずれも偶然の出来事か、もしくは、或る超科学的なる神秘作用を装いて、それ以外の推測を許さず。犯人の存在は固《もと》より、此の如き犯行を一貫したる目的の存在さえも疑わしきものあり……云々。
[#ここで字下げ終わり]
 ……と……。ところでどうです。前に御覧に入れた記録と、この文句を照し合わせて御覧になった諸君は、最早|疾《とっ》くにお気付きになっているであろう。法医学専門の立場にい
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