る若林君の主張と、精神病学者としての吾輩の、該事件に対する主張の中心は、事件の勃発当初からハッキリと正反対になっていて、今日に到るまでも一致せずにいることを……。すなわち若林君はその法医学者特有の眼光に照して、この事件には是非とも別に、隠れたる犯人が居るに相違ない。その犯人がどこからか糸を操《あやつ》って、この事件に関するあらゆる不思議な現象を自由自在に弄《もてあそ》びつつ衆目《しゅうもく》を晦《くら》ましているに違いない……と初めからきめてかかっているのに対して、吾輩の方はドッコイそうは行かぬ。精神科学の立場から見ると、これは所謂《いわゆる》「犯人無き犯罪事件」だ。外形内容共に奇抜な精神病の発作のあらわれに過ぎないので、被害者も犯人も共に、或る錯覚の下に同一の人間となって行った兇行に外ならぬのだ。それでも是非に犯人が必要だというのなら、呉一郎にこんな心理を遺伝せしめた先祖を捕えて牢屋へブチ込めと主張している。ここにこの事件の中心的興味が繋《つな》がっている訳だが……。
 エッ……ナナ何だって……ブルブル……もうこの事件の真犯人がわかったというのかね……。
 ……イヤ……これあドウモ驚いた。いくら名探偵だってそう敏活に頭が働らいちゃ困る。第一吾輩と若林が飯の喰い上げになる。
 まあまあ急《せ》き込まずと待ってくれ給え。たとい諸君の目指す人間が、正真正銘間違いなしのこの事件の真っ黒星で、若林君の所謂仮想の怪魔人であるにしても、要するにそれは一つの推測で、確乎《かっこ》たる証跡があるわけではなかろう。又、たとい確乎動かすべからざる証跡があって、犯人は現在どこに居って、どんな事をしているという事まで、諸君の方で知って御座るにしても、その犯人を取って押えてタタキ上げて御覧になった揚げ句に、アッとビックリ二の句が告げない新事実を、事件の裏面に発見されたならば、如何遊ばすおつもりかね。フフフフフ……。
 だからいわない事じゃない。こんな深刻不可思議な事件を、一寸《ちょっと》した証拠や、概念的な推理で判断するのは絶対危険の大禁物である。すくなくともこの事件が、前記の通りの状態で勃発して後《のち》、如何なる径路を履《ふ》んで吾輩の手にズルズルベッタリに辷《すべ》り込んで来たか。それに対して吾輩が如何なる観察を下し、如何なる方法に依って研究の歩武《ほぶ》を進めて来たか、且つ又、その研究によって摘発されたる第二回の発作の内容の説明が、如何に悽惨、痛烈、絢爛《けんらん》、奇怪にして、且つ、ノンセンスを極めたものがあるか。しかも、そうした研究の道程が、何故《なにゆえ》に吾輩の自殺の原因にまで急変し、進展して来たか……というような事を徹底的に観察した後《のち》でなければ、犯人の有無は決定されぬ筈だ。「サテはそんな事だったか……ウ――ン」と眼を眩《まわ》される筈だ……とまず一本|凹《へこ》ましておいて……サテ、この事件に対する吾輩の研究が、その後どんな風に進展して行ったかという実況を、引き続き天然色浮出し映画について「御座います」抜きで説明する段取りとなる。
 ところで吾輩みたいな田舎活弁の、しかも新米の映画説明の口上から「御座います」を抜いてしまったら、何の事はない素人の書いたシナリオの朗読みたいなものになるだろう。吾輩不幸にしてシナリオだの支那料理だのいうものを製造した事がないから様子がよくわからないが、まだ夜が明ける迄には、だいぶ時間が余っているから、今生《こんじょう》のふざけ序《ついで》にそのシナリオなるものを一つやっつけ[#「やっつけ」に傍点]てみよう。但《ただし》、ここで改めて断っておくが、こんな風に事件の核心である心理遺伝の内容を一番あとまわしにして、外側の事実から順々に中味へ中味へと支那料理……オット、シナリオにして行くのは筋がチャンポンという洒落《しゃれ》ではない。この事件に関する吾輩の記録は、悉《ことごと》く、事件そのものが、吾輩の眼界に這入って来た当時のプロットによって並列されているので、この順序を研究しただけでもこの事件の真相はあらかたわかるという……この点に就ては憚《はばか》りながら、極めて科学的な、絶対に誤魔化《ごまか》しの無い俯仰《ふぎょう》天地に恥じざる真実の記録と信ずる次第で……御座います……かね……ヤレヤレ。

 【字幕[#「字幕」は太字]】 呉一郎の精神鑑定=大正十五年五月三日午前九時、福岡地方裁判所応接室に於ける。
 【映画[#「映画」は太字]】 正木博士は羊羹《ようかん》色の紋付羽織、セルの単衣《ひとえ》にセル袴《ばかま》、洗い晒《ざら》しの白足袋という村長然たる扮装《いでたち》で、入口と正反対の窓に近い椅子の上に、悠然と葉巻を吹かしつつ踏ん反《ぞ》りかえっている。
 中央の丸|卓子《テーブル》の上には正木博士所
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