背振の巨木を集め、自ら縄墨《じょうぼく》を司《つかさど》つて一宇の大|伽藍《がらん》を建立《こんりゅう》し、負ひ来りたる弥勒菩薩の座像を本尊として、末代迄の菩提寺、永世の祈願所たらしめむと欲す。山門高く聳《そび》えては真如実相《しんにょじっそう》の月を迎へ、殿堂|甍《いらか》を聯《つら》ねては仏土|金色《こんじき》の日相観《じっそうかん》を送る。林泉奥深うして水|碧《あお》く砂白きほとり、鳥|啼《な》き、魚|躍《おど》つて、念仏、念法、念僧するありさま、真《まこと》に末世《まっせ》の奇特《きどく》、稀代《きたい》の浄地とおぼえたり。
 かくて
 人皇《にんのう》百十一代霊元天皇の延宝五年|丁巳《ひのとみ》霜月《しもつき》初旬に及んで其業|了《おわ》るや、京師の本山より貧道《ひんどう》を招き開山|住持《じゅうじ》の事を附属せむとす。貧道、寡聞《かもん》浅学の故を以て固辞再三に及べども不聴《ゆるさず》。遂に其の奇特に感じ、荷笈下向《かきゅうげこう》して住職となり、寺号を青黛山如月寺《せいたいざんにょげつじ》と名付く。すなはち翌延宝六年|戊午《つちのえうま》二月二十一日の吉辰《きっしん》を卜《ぼく》して往生講式七門の説法を講じ、浄土三部経を読誦《どくじゅ》して七日に亘る大供養|大施餓鬼《だいせがき》を執行《しゅぎょう》す。当日虹汀は自ら座に上り、略して上来の因縁を述べて聴衆に懺悔《ざんげ》し、二首の和歌を口吟《くちずさ》む。
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唱  六っの道今は迷はじ六《む》っの文字
       み仏の世にくれ竹の杖      坪太郎
和  くれ竹のよゝを重ねてみほとけの
       すぐに空《むな》しき道に帰らむ     六美女
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 続いて貧道座に上り、委《くわ》しく縁起の因果を弁証し、六道《りくどう》の流転《るてん》、輪廻転生《りんねてんしょう》の理《ことわり》を明らめて、一念|弥陀仏《みだぶつ》、即滅無量罪障《そくめつむりょうざいしょう》の真諦《しんたい》を授け、終つて一句の偈《げ》を連らぬ。
  一念称名声《いちねんしょうみょうのこえ》 功徳万世伝《くどくばんせいにつたう》 青黛山寺鐘《せいたいさんじのかね》 迎得真如月《むかええたりしんにょのつき》
 なほ六美女は当時十八歳なりしが、かねてより六字の名号《みょうごう》を紙に写すこと三万葉に及びしを、当来の参集に頒《わか》ちしに、三日に足らずして悉《つ》くせりといふ。
 かくの如きの物語、六道《りくどう》の巷《ちまた》を娑婆《しゃば》にあらはし、業報《ごっぽう》の理趣《ことわり》を眼前に転ず。聞く煩悩即菩提《ぼんのうそくぼだい》、六塵即浄土《ろくじんそくじょうど》と、呉家祖先の冥福、末代正等正覚《まつだいしょうとうしょうがく》の結縁《けちえん》まことに涯《かぎり》あるべからず。呉家の後《のち》に生るゝ男女《なんにょ》にして此の鴻恩《こうおん》を報ぜむと欲せば、深く此旨を心に収め、法事念仏を怠る事なかれ。事|他聞《たもん》を許さず、過《あやま》つて洩るゝ時は、或《あるい》は他藩の怨《うらみ》を求めむ事を恐る。当寺当時の住職、及《および》、呉家の当主夫妻にのみ止《とど》む可し。穴賢《あなかしこ》。
 延宝七年七月七日[#地から3字上げ]一行しるす

◆第三参考[#「第三参考」は太字] 野見山法倫《のみやまほうりん》氏談話
 ▼聴取日時[#「聴取日時」は太字] 前同日午後三時頃
 ▼聴取場所[#「聴取場所」は太字] 如月寺|方丈《ほうじょう》に於て
 ▼同席者[#「同席者」は太字] 野見山法倫氏(同寺の住職にして当時七十七歳。同年八月歿)
       余《よ》(W氏)=以上二人=

 ――その御不審は誠に御尤《ごもっと》もで御座います。この縁起の本文にも書いて御座いまする通り、今より百余年の昔に、呉家の中興の祖とも申すべき虹汀《こうてい》様が、残らず焼いて灰にして、弥勒《みろく》の世までもと封じておかれました絵巻物が、如何ようなる仔細で旧《もと》の絵巻物の形に立ち帰って、今の世に現われまして、呉一郎殿のお手に渡って、あられもない御乱心の種と相成りましたか……という事に就きましては、実は、お尋ねがなくとも申し上げて貴方様《あなたさま》(W氏)の御分別を仰ぎたいと思うておったところで御座いました。
 ――元来この縁起の書付《かきつけ》と申しますのは、呉家の名跡《みょうせき》を嗣《つ》がるる御主人夫婦が初めての御墓参の時に人を払って御覧に入れる事に相成っております。そのほか呉家の御血統に関係致しました事は、尋常|在《あ》り来《きた》りの事のほか、一切他人に洩らしませぬのが、開山一行上人|以来《このかた》、当寺の住職たるものの本分の秘密と定められておるの
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