で御座いますが、余儀ない御方の御尋ねで御座いますし、殊更《ことさら》には、呉一郎殿が真《まこと》の狂気か佯《いつわ》りかが相判《あいわか》りますることが、罪人となられるか、なられぬかの境い目と承《うけたまわ》りますれば、何をお隠し申しましょう……。
 ――と申しまする仔細はほかでも御座いませぬ。この寺の御本尊様の御胎内に、灰となって納まっている筈のあの絵巻物が、実は、旧《もと》の形のままでおります事を、ずっと以前から探り出しておった人が在ったので御座います。のみならず、その絵巻物を御本尊の胎内から取り出して、呉一郎殿の御病気を誘い出す原因《もと》を作られたのも、やはり、そのお方に違いないと思われる人物を、私はよう存じているので御座います。それは申す迄もなく私の心当りだけで申上げるので御座いますから、どなたでも意外に思召《おぼしめ》すか存じませぬが、外ならぬ呉一郎殿の実の母御《ははご》で、先年|直方《のうがた》で不思議の横死《おうし》を遂《と》げられた千世子殿の事で御座います……さよう……これは誠に怪《け》しからぬお話で、何よりも第一に、そんな恐ろしい申伝《もうしつた》えのある品物を、かけ換えのない吾児《わがこ》に渡すような無慈悲な母親が、この世に在ろうとは思われぬので御座いますが、これには何か深い仔細がありそうに思われますので、いずれに致しましても、これから申述べまするお話をお聴き取り下されますれば、やがて何事もお解りになるであろうと存じます。
 ――思いますればもう二《ふ》た昔……イヤ……もう三十年ほどにもなりましょうか。まことに古い事で御座います。もはや御承知か存じませぬが彼《か》の千世子という御婦人は、幼ない時から何事に依らず怜悧《りこう》発明な上に、手先の仕事に冴えたお方で、中にも絵を描《か》く事と、刺繍《ぬいとり》をする事が取分けてお上手だったそうで、まだお合羽《かっぱ》さんに振袖のイタイケ盛りの頃から、この寺の本堂の片隅なぞにタッタ一人でチョコナンと座って、襖《ふすま》に描いてある四季の花模様や、欄間《らんま》の天人の彫刻《ほりもの》なぞを写して御座る姿を、よく見受けたもので御座います。その頃からもうそれはそれは可愛らしい、人形のような眼鼻立ちで御座いましてナ……。
 ――ところが軈《やが》て十四か五になられた頃であったかと思います。学校の帰りと見えまして、海老茶《えびちゃ》の袴《はかま》を穿《は》かれた千世子殿が、風呂敷包みを抱えたままこの方丈《ほうじょう》に這入って来られまして、唯一人で茶を飲んでおりました私に向って……和尚《おしょう》様……あの御本尊の真黒い仏様の中には美しい絵巻物が這入っておるとの事じゃげなが、ソッと私に見せて下さらぬか……という御話で御座います。この絵巻物の事はこの寺の開山当時の大法要以来、この界隈の名高い話と相成っておりまして、この村でも心得ている者がいくらも居る筈で御座いますから、そんな者からでも聞かれたので御座いましょうか……その時に私は笑いまして……それはもうズットの昔に灰にして終《しま》ってある故《ゆえ》、今は見せとうても見せられぬ……と申しますと……それでも、たった今、あの仏様を私がゆすぶって見たら腹の中でコトコトと音がした。何かキット這入っているに違いない……とお千世殿が云われます。私はビックリ致しまして……そんな事をする者で勿《な》い。仏罰《ぶつばち》が当りますぞ……と叱って返しました……が……お千世殿が帰られてからタッタ一人になりますと扨《さて》、何とのう心配になって参りましたので、コッソリと本堂に参りまして、勿体《もったい》のうは御座いましたが、御本尊の弥勒《みろく》様をゆすぶり立てて見ますると、成る程コトコトと音が致します。ちょうど巻物のような形のものが、内部《なか》に納まっているに違いない、と思われる手応えで……。
 ――私は余りの不思議に胸が轟《とどろ》くほど驚き入りました。御本尊様の胎内は、この縁起の本文に書いてありまする通りに、絵巻物を焼いた灰ばかりと思い入っておりましたので……なれども、その時に私は又思案を致しまして、これは昔|虹汀《こうてい》様が、その絵巻物を焼いたと佯《いつわ》って実は、旧《もと》の形のままにして仏像へ納めておかれたものではあるまいか。その周囲《まわり》の詰め物が、年代に連れて乾き寛《ゆる》んで、このように音を立てるのではあるまいか。絵の好きな人に、ありそうな事で、絵巻物を惜しむの余りにそんな事にして、年月を重ねて供養していたならば、次第次第に因縁も薄らぎ、祟《たた》りも熄《や》むであろうと思うて、一存で計《はか》らわれた事ではあるまいか。それならば改めて取り出して焼き棄てるべきものであろうか。どうしたものであろうか……なぞと、様々に思わ
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