から聞きますと、お八代さんの叫声《さけびごえ》を聞きつけた若い者が二三人起きて参りまして、若旦那を押えつけて、細引で縛ったそうで御座いますが、その時の若旦那の暴れ力というものは、迚《とて》も三人力や五人力ではなかったそうで、細引が二度も引っ切れた位だそうで御座います。それをやっとの事で動けないようにして、離家《はなれ》の床柱の根方《ねもと》へ括《くく》り付けますと、若旦那は疲れが出たらしく、そのままグウグウ眠って御座ったそうですが、やがてその中《うち》に又眼が醒めますと不思議にも、若旦那の様子がガラリと違いまして、警察の人が物を尋ねられても、ただ何という事なしにキョロキョロして御座るばかり、返事も何もなさらなかったそうで御座います。……この前、直方《のうがた》でも、あの病気が出たそうで御座いますが、その時はやはり大学の先生のお調べで、麻痺薬《まやく》をかけられていた事が判りましたそうで、その後も何とも御座いませんので連れて来たと、お八代さんは云うておりましたが、血統《ちすじ》というものは恐ろしいもので今度の模様を見て見ますと、やはりあの巻物の祟りに違いないようで御座います。
 ――もっともこの巻物の祟りと申しますのも久しい事出ませんので、私共も、どんな事か存じません位で御座いますが……何でもあの巻物は、向うに屋根だけ見えております……あの如月寺《にょげつじ》というお寺様の、御本尊の腹の中に納っておりましたものだそうで、それを見ますと、呉家の血統の男に生れたものならば、きっと正気を取り失いまして、親でも姉妹《きょうだい》でも、又は赤の他人でも、女でさえあれば殺すような事を致しますのだそうで、その由来《ことわけ》を書いたものが、あのお寺にあるとか……ないとか云うておるようで御座いますが……その巻物が、どうして若旦那様のお手に這入りましたものか不思議と申すほか御座いません。……ヘイ……あの如月寺の只今の御住持様は、法倫《ほうりん》様と申しまして、博多の聖福寺《しょうふくじ》様と並んだ名高いお方だそうで御座いますから、こんな因縁事なら何でもおわかりの事と思いますが……ヘイ……もう余程のお年寄りで、鶴のように瘠《や》せたお身体《からだ》に、眉と髯《ひげ》が、雪のように白く垂れ下がった、それはそれは、有り難いお姿の、和尚《おしょう》様で御座います。何ならお会いになりまして、お話をお聞きになって御覧なされませ。嬶《かかあ》に御案内を致させますから……。
 ――ヘイ……お八代さんは今では半|狂乱《きちがい》のようになったまま足を挫《くじ》いて床に就いているそうで御座います。頭の怪我《けが》は大した事はないとの事で御座いますが、云う事は辻褄《つじつま》が合うたり合わなんだりするそうで、道理《もっとも》とも何とも申しようが御座いません。腰が抜けておりますので、お見舞いにも行かれませんで……。
 ――私が宗近(医師の姓)へ走らなかったので万事が手遅れになったように申した者もあったそうで御座いますが、これは無理で御座います。オモヨさんが絞め殺されたのは今朝の三時から四時の間だと、宗近さんが私の腰を診《み》に来た時に云うておりました。蝋燭の減り加減がやっぱりそれ位の見当で御座いましたそうで。……ヘエ……あとは只今お話し申し上げた通りで御座います。お八代さんがたしか[#「たしか」に傍点]にしておれば何もかもわかる筈で御座いますが、今も申上げました通り、若旦那を怨《うら》んだような事を云うかと思えば……早う気を取り直してくれよ。お前一人が杖柱《つえはしら》……なぞと夢うつつに申しておりますそうで、トント当てになりませぬ。
 ――まだ警察の方は一人も私の処へ尋ねてお出でになりませぬ。……と申しますのは、この騒動に一番先に気が付きました者は、お八代さんの金切声をきいて馳け付けた、泊り込みの若い者しか居りませぬ。警察の方はそれから後《のち》の話を詳しく調べてお帰りになりましたそうで……私はもうその前から用心を致しまして、もし自分が疑われてはならぬと思いましたから、宗近先生に口止めを頼みましたが僥倖《しあわせ》と大騒動に紛《まぎ》れて、誰が宗近先生を招《よ》びに行ったやら、わからずにおりましたところへ、思いがけない先生のお尋ねでもうもう恐れ入りました。ヘイ。何一つ隠し立ては致しません。なろう事なら先生のお力でこの上警察に呼ばれぬようにお願い出来ますまいか。この通り腰が抜けておりますし、警察と聞いただけでも私は身ぶるいが出る性分で御座いますから……ヘイ……。

◆第二参考[#「第二参考」は太字] 青黛山如月寺縁起《せいたいざんにょげつじえんぎ》
       (開山|一行上人《いちぎょうしょうにん》手記)
       ――註――同寺は姪浜《めいのはま》町二十四番地
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