ざること。
=同= 同婦人は、姪《めい》の浜《はま》なる実家に、近き親戚の尠《すくな》き旨を洩らせるが、田舎の富家には往々にして此の如く血縁的に孤立せる家系あり。而して、その孤立の原因は多くの場合、その家柄もしくはその血統に絡まる伝統的の悪風評もしくは、或る忌《い》むべき遺伝的の素質あるがために、附近の者が姻戚関係を結ぶを好まざる結果なるを以て、呉家も、或はその種の家柄に非ずやと疑わるる事。
=同= 妹千世子が家出の原因は刺繍と絵画の修業を目的とせるものに外《ほか》ならざる旨、繰返して弁明せるも、前項の疑点と照合する時は、尚、別の意味をも含まれいるものの如し。すなわち千世子は、姉と共に同家に居りては、到底結婚の不可能なるべきを予感し、又は他国に於て、呉家の血統を繋《つな》ぎ残すべく、姉との黙契の下に家出したるものにして、これあるがために、その行衛《ゆくえ》捜索に対する姉の態度は、稍々《やや》不熱心の嫌《きらい》なきに非ざりしやの疑を存する余地あり。且つ、同姉妹が二人共、女性としては珍らしき気嵩《きがさ》なる性格の所有者なる事実よりこれを推せば、両人の間にかかる黙契の成立し得べき事は想像に難《かた》からざる事。
=松村マツ子女史の談話中= 「千世子が有名なる男喰いなりとの噂」云々の事実と、前記の疑問とを綜合する時は、此《かく》の如き事情を負うて家出せる同女の、その後の行動の一斑を窺《うかが》うに足るべき事。
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 如上の各項の疑点を通じて、姪の浜の呉家に伝統的の、しかも、極めて恐怖すべき或るもの[#「或るもの」に傍点]が存在せる事、及び同家の最後の血統を有せる八代子と千世子の姉妹が、この事を熟知しおるらしき事は、この事件の当初より既に、充分に暗示しありたるものと見るを得べし。

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【十一】 残るところは、この事件に於ける呉一郎の夢中遊行の発作が「如何なる種類の心理遺伝の[#「如何なる種類の心理遺伝の」に傍点]、如何なる程度の発露に依りて行われたるものなりや[#「如何なる程度の発露に依りて行われたるものなりや」に傍点]」という問題なり
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 即ち這般《しゃはん》の第一回の発作は、その夢中遊行の直接誘因とも見るべき有形的の暗示[#「暗示」に傍点]が「一女性の寝顔の美」という簡単なるものに過ぎず、且つその刺戟が、異性的魅惑力の最も薄弱なる母親によって与えられたるものなりしため、呉家の固有に属する驚異的の心理遺伝に対する暗示の度も亦《また》、甚だ浅かりしものと察せらる。従って、その夢中遊行の内容も、同家固有の心理遺伝の内容(後段参照)と合致せるは唯「絞首」の一事あるのみ。爾余《じよ》はその屍体、及びその容貌の暗示より来れる脱線的の夢中遊行に移りて、それ以上の心理遺伝の内容を示さざりしものと思惟《しい》し得べし。
 而《しか》して、前記諸項に関する一切の根本的の疑問に対する解決と説明は、この直方事件の発生後、約二箇年目に現われたる左記、第二回の発作に現われたる諸般の事情に依って、徹底的に明らかにするを得べし。


     第二回の発作

◆第一参考[#「第一参考」は太字] 戸倉仙五郎の談話
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▼聴取日時[#「聴取日時」は太字] 大正十五年四月二十六日(所謂《いわゆる》、姪之浜《めいのはま》の花嫁殺し事件発生当日)午後一時頃――
▼聴取場所[#「聴取場所」は太字] 福岡県早良郡姪之浜町二四二七番地、同人自宅に於て――
▼同席者[#「同席者」は太字] 戸倉仙五郎(呉八代子方|常雇《じょうやとい》農夫、当時五十五歳)――同人妻子数名――余《よ》(W氏)――以上――
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   【注意】 甚しき方言なるを以て標準語に近づけて記載す。

 ――ええもう、このような恐ろしい事は御座いませなんだ。その時に梯子《はしご》のテッペンから落ちて打ちました腰が、この通り痛みまして、小用《こよう》にも這《は》うて参ります位で、すんでの事に生命喪《いのちうしな》いをするところで御座いました。しかし、今朝《けさ》程から茄子《なすび》の黒焼を酒で飲みまして、御覧の通り、妙薬の鮒《ふな》を潰して貼っておりますけに、おかげで余程痛みが寛《くつろ》いだようで御座います。
 ――呉様のお家は、千俵余米と申しまして、この界隈でも一といわれる名うての大百姓で御座います。そのほか、養蚕《かいこ》から、養鶏《にわとり》から何から何まで、今の後家さんのお八代さんが、たった一人で算盤《そろばん》を弾《はじ》かっしゃるので、身代《しんだい》は太るばかり……何十万か、何百万かわからぬと申しますが、豪《えら》いもので御座います。学校も自分で建
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