い西洋音楽のレコードを聴いたりしますと、名画を見ているような気持になります。民謡なぞも母が機嫌がいいと、よく塾生と一緒に謡《うた》いましたから、好《い》いなあと思って聞いていました(赤面)。
――僕は今迄に病気した事は一度もありません。母も寝たことはないようです。
――僕はこれから、警察へ訪ねて来て下すった鴨打先生の処へお礼に行きます。
◆第二参考[#「第二参考」は太字] 呉一郎伯母八代子の談話
▼同所同時刻に於て、呉一郎が外出後――
――まったく何もかも夢のようで御座います。一郎《あれ》は私の妹の子に相違《ちがい》御座いません。眼鼻立ちが母親に生きうつしで、声までが私共の父親にそっくりで御座います。
――ずっと古い昔の事は存じませぬが、私の家は代々|姪《めい》の浜《はま》で農業を致しておりました。私共|姉妹《きょうだい》は母に早く別れましたが、父も私が十九の年の正月に亡くなりましたので、家の血統《ちすじ》は私と、この妹(位牌《いはい》をかえり見て)の千世子と二人切りになってしまいました。それで、その年の暮に私は、亡くなりました夫の源吉を迎えますと間もなく妹は「東京へ行って絵と刺繍《ぬいとり》の稽古をして、生涯独身で暮すから構わないでくれ」という置手紙をして家を出ました。それが明治四十年の新の正月頃の事で御座いましたが、その後、福岡で妹を見かけたという人もありましたけれどもハッキリした事はわかりません。やはり全く絵と刺繍《ししゅう》が好きなためで御座いましたろうと思います。一郎が申しますように、人並はずれて勝気な娘で、十七年の年に県立の女学校を一番で出た位で御座いますが、何か始めますと夢中になる性質《たち》で、夜通し寝ないで小説を読んだり、絵を描《か》いたりする事がよく御座いました。ことに刺繍《ぬいとり》は小学校にいました時から好きで、夕方暗くなりましても縁側に出て、図画用紙にお寺の襖《ふすま》の絵を写して来たのを木綿の糸屑で縫っている位で御座いましたから、私が夫を迎えたのを見澄《みすま》してその方の稽古を念《ねん》がけて行ったものと存じます。今から思いますとその時が今生《こんじょう》のお別れで御座いました。もっとも、田圃《たんぼ》や畑の荒仕事を嫌いますので、よく留守番をさせましたが、私の家は門の処から町並では御座いますし、出入りもかなりに多い方で御座いましたから、別に可怪気《おかしげ》ない事を仕出かして出て行ったものとも思われませぬ。
――それから後《のち》の妹のたよりは、明治四十年の暮に、東京の近くの駒沢村という処で、一郎という男の子が生れましたといって、村役場から知らせて参りましただけで御座います。その時もすぐに警察にお頼みして捜して頂きましたが、届出てあった所番地の家は、ずっと前から貸家になっておりましたものだそうで、なお、念のために私が出しておりました手紙も戻って参りましたので力を落しました。一郎が小学校へ入学致しました時の戸籍の書類《かきつけ》なぞはどうして取りましたものかわからないままに全くの音沙汰なしになっておりました。そうして私が二十三になりました年の正月に夫と別れますと間もなく、今居りますモヨ子と申します娘を一人生みましたから、それから後は娘と二人切りで暮しておりました。
――今度の事を新聞で見ました時は夢心地で馳付けて参りました。いろいろお調べを受けましたが、只今の通りお答を申上げておきました。
――初めて一郎を見ました時は思わず涙が出ました。その時に夢の事を尋ねましたのは、私の処に居ります若い者が読んでおりました活動の話に、夢遊病の事が書いて御座いましたからです。何か西洋《あちら》の事で、私どもにはよく解りませぬけれども、夢遊病に罹《かか》ってした事なら罪にならぬから、これから夢遊病の真似をして悪い事をしようか……なぞ若い者が申して笑っておりましたから、その事を思出しまして、もしやと思って尋ねて見たので御座いますが、女の癖に差出がましいとは存じましたけれども助けたいが一心で御座いましたから(赤面)。おかげ様で一郎が元の潔白な身体《からだ》になります許《ばか》りでなく、妹にも久しく不品行《ふしだら》な事が御座いません事が、亡骸《なきがら》をお調べ下さいましてから、お判りになりましたとの事で、これがせめてもの心遣《こころや》りで御座います。……で御座いますから私はここで立派に法事を営みましてから、お世話になりました皆様へも、世間並の御挨拶をして立ちたいと思います。
――昨日《きのう》、東京の近江屋《おうみや》の御主人からお香奠《こうでん》に添えてこのようなお手紙(略)が参りました。「宮内省のお役人から、お装束の修繕《つくろい》がさせたいからと頼まれて、妹の行衛《ゆくえ》を探しているとこ
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