んでみたが、どうしても起きない。そのうちに勝手口の方へ降りて来る階段の昇り口の処に白い足が二本ブラ下がっているのが薄明《ほのあか》るく見えたので、お爺さんは真青になって警察へ駆込んで来た。……それから警察の人が行って見ると、勝手口の突かい棒が落ちているのが一番先に解った。それから二階に上ろうとすると、母が寝巻一つのまま階段の上の手摺に細帯を結んで、それに首を引っかけて手足を垂らしているのが発見されたが、お前はそんな事は知らないような風に、床から半分脱け出して大の字になったままグーグー寝ていた。しかし母親の屍体を調べて見ると、首の周囲《まわり》の疵痕《きずあと》は細帯と一致しないし、寝床も取り乱してあるしするのだから、たしかに絞殺した後で首を縊《くく》ったように見せかけたものに違いない。又|家《うち》の中には何も盗まれたような跡が無いようだし、外から人が這入って来た様子もないから、お前より外《ほか》に怪しい者はいない事になる………。
――それからまだある。お前の母は寝床の中で絞殺《しめころ》されがけに随分苦しんでいるらしく、その絞めた疵痕が二重にも三重にもなっている位だから、横に寝ているお前が眼を醒さない筈はない。第一お前は平常《いつも》と違って三時間以上余計に朝寝をしていたのはどういう訳か。絞め殺しておいて胡魔化《ごまか》すつもりで寝ていたのが、つい寝過したのじゃないか。お前はほかに、お前を好いている女がいるのじゃないか。それとも塾生の中にお前が好いている娘がいて、その事に就《つ》いて母親と喧嘩したのじゃないか。母親にお金を強請《せび》ったのじゃないか。毎月|小遣《こづかい》を幾ら貰っているか。一体あれはお前の本当の母親なのかどうか。情婦を親に見せかけていたのじゃないか。スッカリ白状し給え……なんて飛んでもない事を色々と云いかけるのです。……ですけれども、僕はそんな事を聞いている中《うち》に、頭が痺《しび》れたようになりまして、それじゃ人間てものは自分でも知らない間に、人を殺すような事がホントウにあるのか知らん。僕は夢うつつのうちに母親を殺して忘れているのじゃないかしら……なぞとボンヤリ考えたりしながら、俯向《うつむ》いておりますと「そんならここで考えていろ」と留置場に入れられました。
――それからその日と、その晩の一夜は何も喰べずに眠ったり醒めたりして、あくる朝の御飯も頭が痛むのでそのままにしていましたが、あんまりお腹が空《す》いて来ましたので、お昼のを頂きますと大変にお美味《いし》くて頭の痛いのがすっかり癒《なお》りました。それから夕方になりますと、僕の母ソックリの女の人が面会に来ましたのでビックリしましたが、それはこの伯母でしたので、僕は生れて初めて会った訳なのです。その時にこの伯母も先生(W氏)と同じ事を云いました。「何か夢を見ていやしなかったか」って……。けれどもその時はどうしても思い出せなかったものですから、何も知らないと答えました。……でも麻酔剤を嗅《か》がされていた事なんか、ちっとも知らなかったものですから……。
――あくる日になると先生(W氏)がお出《い》でになるし、中学にいた時の僕の受持ちの鴨打《かまち》先生も会いに来て下さいました。その又あくる日になったら裁判所からも人が来て親切にいろんな事を聞いたりして何だか赦《ゆる》されそうなので、僕は母がどんなになっているか、見に行きたくて堪《たま》りませんでしたが、一昨日《おととい》帰って見ますと、母の遺骸《からだ》はもう火葬にしてありましたのでガッカリしました。僕の家《うち》には写真が一枚もないので母の顔はもう見られないのです。けれども明日《あした》はこの伯母が、僕を姪《めい》の浜《はま》の自宅《うち》に連れて行ってくれると云いますし、モヨ子っていう従妹《いとこ》もいるそうですから、そんなに淋しくはないだろうと思います。
――僕が一番好きなのは語学ですが、その中《うち》でも一番面白いのは外国の小説を読むことで、特にその中《うち》でもポーと、スチブンソンと、ホーソンが好きです。みんな古いって云いますけど……今に大学に這入ったら精神病を研究してみようかとも思っている位です。ホントウは文科に入って各国の言葉を研究して、母と一緒に父の行衛《ゆくえ》を探しに行きたいと考えていましたが、父の事に就いては母が極く少しばかりしか話さずに死んでしまいましたのでガッカリしています。その外に、今のところでは、どんな者になろうとも思っておりません。国語や漢文も嫌いではありませんが、中学を出た後《のち》にはわざわざ勉強しようとは思いませんでした。その次に好きなのは歴史と博物で、つまらないと思ったのは地理と物理と数学でした。一番できないのは唱歌ですが、それでも聴くのは大好きです。い
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