おき》な肘掛回転椅子に乗っかった正木博士は、白い診察服の右手の指に葉巻の消えたのを挟み、左には当日の新聞紙を掴みながら鼻眼鏡をかけたままコクリコクリと居睡りをしております。トント外国の漫画に出てまいります屁《へ》っぽこドクトルそのままで……読みさしの新聞の裏面に「花嫁殺し迷宮に入る」という標題が、初号三段抜きで掲げてありますところを特に大うつしにして御覧に入れておきます。そのうちに大暖炉の上の電気時計の針が、カチリと音を立てて三時三分を指しますと、大学のお仕着せを着た四十恰好の頭を分けた小使が、一葉の名刺を持って這入って来て、恭《うやうや》しく正木博士の前に捧げました。
 扉の閉《しま》った音で眼を醒ました正木博士は、その名刺を受取ってチョット見ますと如何にも不機嫌らしく両眼を凹《へこ》ませました。
「ナアーンだ。何遍云って聞かせてもわからない唐変木《とうへんぼく》だ。馬鹿叮嚀にも程がある。これから、こんなものを一々持って来なくとも、黙って勝手に這入って来いと、そう云え」
 と云いながら、その名刺を大卓子の上に投げ出しました。ナカナカ威張ったもので……そのまま眼を閉じて、又もウトウトと睡りこけております。
 ところへ、青いメリンスの風呂敷を一個、大切そうに抱えた若林博士が、長大なフロック姿を音もなく運んで這入って来まして、正木博士と向い合った小さな回転椅子に腰をかけました。矮小な正木博士が、大きな椅子の中一パイにハダカッているのに対して、巨大《おおき》な若林博士が、小さな椅子の中に恭しく畏《かしこま》っている光景は、いよいよ絶好の漫画材料で御座います。……と、やがて若林博士は例によって持病の咳に引っかかりまして、白いハンカチを口に当てたまま、ゴホンゴホンと苦しみ始めました。
 正木博士はその騒ぎでやっと眼を醒ましたものと見えまして、新聞と葉巻を空中にヤーッとさし上げて、眼の前の若林博士は勿論のこと、この室も、九州大学も、しまいには自分自身までも一呑みにしてしまいそうな、素敵もない大|欠伸《あくび》を一つしました。
 斯《か》くして事件勃発以後に於ける二人の博士の最初の会見は、この大欠伸によって皮切られたのでありますが、続いて始まる二人の会話が、表面から見ますと何等の隔意もないように思われまするにも拘らず、その裏面には何かしら互いに痛烈な皮肉を含ませて、出来るだけ深刻に相手を脅威すべく火花を散らしている……らしい事にお気が付かれましたならば、この事件の裡面に横たわっている暗流が如何に大きく、且つ、深いものがあるかを御推察になるのに充分であろうと信じまする次第で……。
「アーッ……アーッと。イヤア。とうとうやって来たね。ハハハハハハ多分もうやって来る時分だと思っていたが」
「ハア……ではもう、事件の内容は御存じなので……」
「知っているぐらいじゃない……これだろう……花嫁殺し迷宮に入る[#「花嫁殺し迷宮に入る」に傍点]……という……無論記事の内容にはヨタが多いだろうが……」
「さようで……併《しか》し私がこの事件に関係致しておりますことは、どうして御存じで……」
「……ナアニ……この間|一寸《ちょっと》用事があって君に電話をかけたら、午後の講義をブッ潰して、自動車でどこかへフッ飛んで行ったというから、扨《さて》は何か初まったナ……と思っていると、その日の夕刊に……結婚式の前夜に花嫁を絞殺す[#「結婚式の前夜に花嫁を絞殺す」に傍点]……とか何とかいう特号四段抜きか何かの記事が出たから、扨《さて》はこの事件に引っかかったナ……と察していた訳なんだがね」
「ナルホド。しかし今日私がこちらに伺いますことは、どうして御存じで……」
「ウン……それあ今日かいつか知らないがキッと来るには間違いないと思っていた。……というのはこの事件は……ホラ……例の心理遺伝[#「心理遺伝」に傍点]に違いないと最初から睨んでいたからね。君が調べ上げて吾輩の処へ持込んで来るのを実は待っていた訳だ。ハハハハハ」
「恐れ入ります。お察しの通りで……実は私は二年前からこの事件に関係致しておりましたので……」
「エッ。二年以前から……」
「さようで……」
「……フ――ン。二年前にも、こんな事件があったんかい」
「ハイ、それも同じ少年が、実母を絞殺致しました事件で……」
「ウーム。おんなじ奴が、おんなじ手段で……しかも実母を……ウーム……」
「実はその時に、こちらから進んで事件に関係致しました私は……この事件の犯人は別にいる。この少年が殺したのではない……と主張致しておったので御座いますが、その犯人がその後どうしても見つかりませぬ」
「君の炯眼《けいがん》を以てしてかい」
「……お恥かしい次第ですが、このような難解な事件に接しました事は、私も生れて初めてで……何と説明致した
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