ら宜しう御座いましょうか……犯跡が歴然と致しておりながら、犯人が居た形跡がないとでも……」
「……フ――ン。面白いナ……」
「……で御座いますから、その少年が前回の実母絞殺事件で無罪と相成りました後《のち》も私は決して安心致しませんで、何とかして犯人の目星《めぼし》をつけたいと考えました結果、被害者の実の姉で、少年の伯母《おば》に当る八代子《やよこ》という者や、警察方面とも連絡を取りまして、もしこの後《のち》に、この少年の起居動作、又は一身上の出来事なぞにすこしでも変った事があったら、直《すぐ》に知らせてくれるように頼んだりなぞ致して、絶えず注意を払っていたので御座いますが、とかくする中《うち》に二年後の今日と相成りますと、果して又も同じ少年が、今度は自分の伯母に当る八代子の娘でしかも自分の花嫁となるべき呉モヨ子という少女をその結婚式の前夜に絞殺致しましたので、二年前の実母殺しも、やはりこの少年が、同じような精神病的発作に駆られてやったものに違いない……というような事になりました。お蔭で二年前に……この少年の母を殺した犯人は別にいる……と申しました私の言葉は、目下のところスッカリ信用を失っておりますような訳で……」
「アハハハハハ痛快痛快……。そう来なくっちゃ面白くない。君の腕試しには持って来いの事件らしいね」
「イヤどうも……腕試しどころでは御座いませんので……。実は私もこの事件を、兼《か》ねてから御指導によって研究致しております精神科学的犯罪[#「精神科学的犯罪」に傍点]の好研究材料と信じまして、一ツの事を三ツも四ツもの各方面から調査致しまして、スッカリ書類にしておいたので御座いますが……この風呂敷包みの中のがそれで……」
「……ウワッ……オッソロシイ大部なモンじゃないかそれあ……事件が始まってから、まだ一週間しか経たないのによく、それだけの書類が……」
「イヤ、この中には、二年前の事件に関する調査書類も一緒になっておりますので……又今度の事件の分も、いつ何時《なんどき》私が重態に陥りましても差支えないように、調べる片端《かたっぱし》から不眠不休でノートに致して参りましたのですが……おかげで持病の喘息《ぜんそく》が急に悪化しまして、幾何《いくばく》もない私の余命が、一層たよりなくなったような気が致します」
「ウ――ム。そういえば近来急に影が薄くなったようだ。気をつけなくちゃいけないぜ。木乃伊《ミイラ》取が木乃伊式に、自分自身が精神科学の幽霊になったんじゃ鳧《けり》のつけようがないからね。アハハハハ、イヤ御苦労御苦労……ところで、その包の上にツン張り返っている四角い箱は何だいソレア……」
「ハイ。これが今回の心理遺伝事件の暗示に使われました一巻の絵巻物で、箱は私が指物屋《さしものや》に命じて作らせたもので御座います。……その呉一郎と申す青年は、誰かにこの絵巻物を見せられた結果、精神異常を来《きた》したものに相違ないと考えられるので御座いますが、今も申します通り、当局者と私の見込が全く違ってしまいまして、呉一郎の精神異状は自然的の発病か、もしくは精神病者を装っているものと認められておりますために、この絵巻物を当局者に参考材料として見せましても、頭から一笑に附しているので御座います。併し又、一方から申しますと、そのお蔭で、斯様《かよう》な貴重な参考材料が、都合よくこちらの手に這入りましたような訳で……」
「アハハハハ。そいつはよかったね。君がその風采で、警察や裁判所の奴等の前にそんな巻物を持出して、ソモソモこれが恐れ多くも勿体《もったい》なくも正木博士独特の御研究にかかる前代未聞の新学理、心理遺伝の暗示材料で御座る……なぞ云い出したら、大抵|面喰《めんくら》ってしまったろう。よく香具師《やし》と間違えられなかったね、アハハハハハハ」
「ハハハハハ。イヤ実は例の隠蔽[#「隠蔽」に傍点]になりませぬように形式だけ見せたので御座いますが、実はこちらの物にしたくてたまりませんでしたので……」
「如何にも……そこに抜かりはない男だからね……」
「イヤ……どうも……」
「……ところで今日の用事というのは、その書類と事件とを吾輩に押しつけに来たんかい」
「ハイ。それも御座いますが今一つ……現在、花嫁殺しの犯人と目されて、福岡|土手町《どてまち》の未決監に入れられております少年呉一郎の精神鑑定がお願い致したいので……」
「ウン。あの少年かい。あの少年の精神状態なら新聞記事だけで大抵様子は判っているよ。所謂《いわゆる》発作後の健忘状態という奴だ。つまりその絵巻物の暗示か何かで精神異状を来した結果、或る夢中遊行を起して、花嫁を殺したりしている奴を、無理矢理に取押えて夢中遊行を中絶させようとしたために大暴れに暴れ出した。そうして、そんな興奮から来た神
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