前の成功を告げると同時に、絶後の失敗に終ったという、奇々怪々な精神科学の学理原則の活躍が、明々、歴々と判明して来る。同時に現代文化の粋を極めた常識とか、学識とかいうものが、一挙に木《こ》ッ葉微塵《ぱみじん》となって、あとには空《から》っぽの頭蓋骨だけが、累々《るいるい》として残る事になる……という訳なんだが……。
 ……ところで……エート。ここいらでチョット失敬して、消えた葉巻に火をつけるかな。……実は大好物でね。どんなに貧乏生活をしている時でも、コイツとアルコール分だけは座右に欠かさなかったものだが……もはや死ぬまでに何本というところまで漕ぎ付けたんだから、一つ勘弁して頂きたい。ハハハハ……。

 お待ち遠さま……サテ然るにだ……吾輩の極楽行きの直接原因を生んだ彼《か》の「狂人解放治療場」を見た人々は、誰でも狂人の散歩場ぐらいにしか思っていないようである。中には新聞の記事なぞを読んで「ハハア成る程」なぞと首肯《うなず》く者が居るかと思うと、すぐにあとから「いかにもねえ。こうしておけば狂人も昂奮しませんね」とか「ハハア。一種の光線治療ですね」なぞと、知ったか振りを云うくらいの事で、誰一人としてこの実験の正体を看破した者は居ないから面白い。否。この実験の秘密はこの教室で仕事をしている副手や助手にさえも洩した事はないのだから、彼等は唯、何か非常に高遠な実験らしい……ぐらいにしか心得ていないのであるが、実は他愛ない……しかもステキに面白い実験なのだ。「解放治療」なぞいう鹿爪《しかつめ》らしい名前は、世を忍ぶ仮の名に過ぎないのだ。
 何を隠そうこの「解放治療」の実験は、吾輩が嘗て、当大学の前身であった福岡医科大学を卒業する時に書いた「胎児の夢」と名付くる一篇の論文の実地試験に外ならないのだ。
 但し吾輩が「胎児の夢」の中に並べ立てた引例は皆、人類各個お互い同志に共通した、喰いたい、寝たい、遊びたい、喧嘩したい、勝ちたいといった程度の心理の遺伝で、極く極く有り触れた種類のものばかりであるが、ここで研究しているのは、それよりもモットモット突込んだ、個人個人特有の極端、奇抜な心理遺伝の発作なんだ。近頃流行の猟奇趣味とか、探偵趣味なぞいうものが、足元にも寄り付けないくらい神秘的な、尖端的な、グロテスクな、怪奇、毒悪《がいどく》を極めた……ナニ、まだ見た事がないから見せてくれ。お易い御用だ。タッタ今お眼にかけよう……。
 ……サアサア入《い》らっしゃい入らっしゃい。世界中、どこを探しても見られぬ生きた魂の因果者の標本、日中の幽霊、真昼の化け物、ヒュ――ドロドロの科学実験はこれじゃこれじゃ……見料《けんりょう》は大人が十銭、小供なら半額、盲人《めくら》は無料《ただ》……アッ……そんなに押してはいけない。狂人《きちがい》連中に笑われますぞ。お静かにお静かに……。
 ……エヘン……。
 ここに御紹介致しまするは、九州帝国大学、医学部、精神病科本館の裏手に当って、同科教授、正木先生が開設されましたる、狂人解放治療場の「天然色、浮出し、発声映画」と御座います。映写致しまする器械は、最近、九大、医学部に於きまして、眼科の田西博士と、耳鼻科の金壺《かなつぼ》教授とが、正木博士と協力致しまして、医学研究上の目的に使用すべく製作されましたもので、実に精巧無比……目下米国で研究中の発声映画なぞはトーキー及ばない……画面と実物とに寸分の相違もないところにお眼止《めと》めあらむ事を希望致します。
 まず……開巻第一に九州帝国大学、医学部の全景をスクリーンに現わして御覧に入れます。
 御覧の通り九大の構内と構外とは一面に、一《ひ》と続きの松原の緑に埋められておりますが、その西端に二本並んだ大煙突の下《もと》に見えます見すぼらしい青ペンキ塗り、二階建の西洋館が、天下に有名なるキチガイ博士、正木先生の居《お》られる精神病学教室の本館で、そのすぐ南側に見えます二百坪ほどの四角い平地が、これから御紹介申上げます「狂人の解放治療場」で御座います。……撮影機と技師とを搭載致しました飛行機はだんだんと下降致しまして、精神病科本館階上、教授室の南側の窓の縁に着陸致します。……まるで蜻蛉《とんぼ》か蠅《はえ》なんぞのようで……時に大正十五年十月十九日……の午前正九時と致しておきましょうか。
 この解放治療場を取巻いておりまする赤煉瓦の塀は、高さが一丈五尺。これに囲まれました四角い平地は全部この地方特有の真白い、石英質の砂で御座いますから、清浄この上もありませぬ。真中に桐の木が五本ほど、黄色い枯れ葉を一パイにつけて立っております。この桐の木はズット以前からここに立っておりまして、本館の中庭の風情となっておったもので御座いますが、この解放治療場開設のため周囲を地均《じなら》し致しまして以来、
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