なっている稀代の美少年と、絶世の美少女との変態性慾に関する破天荒の怪実験が、ドンナ学理の原則に支配されて、ドンナ風に緊張し、白熱化しつつ、実験者たる吾輩の全生涯を粉砕すべく爆発しかけて来たかという、その自然発火の裏面のカラクリが、次第次第に手に取る如く判明して来るんだから……。
話はすこし以前《まえ》にさかのぼる。
今年の十月の何日であったかに、福岡の某新聞の学術欄で、吾輩の「脳髄は物を考える処に非《あら》ず」という意味の談話が連載された時の、世論の反響のドエラサには正直のところタジタジと来たね。「人間という動物は自惚《うぬぼ》れと迷信で固まっているものだ」ぐらいの事はウスウス知っていないではなかったが、それにしてもコンナまで篦棒《べらぼう》なものであろうとは、この時がこの時まで気が付かなかった。彼等、すなわち常識屋は、新聞に、雑誌に、念入りなのは書信に、もっと御念入りなのは吾輩に直接面会などいう、ありとあらゆる手段を以て、吾輩の放言をタタキ潰すべく試みた。殊に肝《きも》を潰すべきは、研究の自由をモットーとしているこの大学の中で、お上品な顔をして、アゴを撫でたり、ヒゲを捻《ひね》ったりしている教授連中までが、一斉に奮起して、「あの非常識にして暴慢、不謹慎な、狂人学者《ヒポマニー》をタタキ出せ。然《しか》らずむば赤煉瓦の中へタタキ込んでしまえ」というので、机を叩いて総長に迫ったという。
これを聞いた時には流石《さすが》に海千山千の吾輩も、尻に帆を上げかけたね。大学の中だけは学術研究の安全地帯だと思っていたのが、豈計《あにはか》らんやのビックリ箱と来たもんだからね。幸いにして総長が、行政官じみた事なかれ主義の男で、体《てい》よくマアマア式に切り抜けたお蔭で、吾輩も今日までマアマアに有り付いて来た訳だが、それにしても考えて見れば阿呆《あほ》らしい話じゃないか。ドウセ博士とか、大学教授とかになる人物なら、一番上等のところで名誉狂か、研究狂程度の連中にきまっている。それを恥かしいとも思わないで、今一枚|上《う》わ手《て》の名誉狂、兼、研究狂である吾輩を捉まえて、キチガイ呼ばわりをするんだから、片腹痛からざるを得ないではないか。この時に吾輩が、如何に片腹痛かったかは、吾輩の親友若林学部長が知っている。
「コンナ塩梅《あんばい》式では吾輩の精神解剖学や精神生理、精神病理、心理遺伝なぞいうものは、とても剣呑《ケンノン》で発表出来ないね。普通の人間よりも、精神病者の方が、気が慥《たし》かだという学説なんだからね。ハハハハ……」
「そうですねえ。科学ぐらい人類を侮辱しているものはないという事を、大抵の人間は知らずにいるのですからね」
「そうだとも、しかし『人間は猿の子孫也』と聞いてソレ見ろと得意になっている連中が……お前達はみんなキチガイだと云われると、慌てて憤《おこ》り出すところは奇観じゃないか。猿の進化したものが人間で、人間の進化したものがキチガイだという事実を知らないばかりじゃない。全然反対の順序に考えているらしいんだからね。ワッハッハッハッハ……」
なぞと笑い合った位だから……。
だから吾輩は訂正追加のために、手許に取り寄せていた「脳髄論」の公表までも差し控えてしまった。そうして約半年後の今日只今、そんな著述の原稿を一緒に、みんな引っくるめて焼き棄ててしまった。
ナニ。別に理由は無い。つまらないからサ。
人類の文化は、吾輩の研究を受け入れるべく、余りにアホラシク幼稚だからサ。……しかも、そんな大きな事実に二十年もの永い間、気付かないで、コンナ桁外《けたはず》れの研究に黒煙《くろけむり》を立て続けて来た吾輩のアホラシサが、今更にシミジミとわかって来たからサ。或は吾輩の精神異状が、こうして静まりかけているのかも知れないが……呵々《かか》……。
……但し……そんな著述の中でも一番|美味《おい》しいロースのクラシタどころだけは、この遺言書の中に留めておいて、適当の時代に、こうした研究を想い立つであろうキチガイ学者の参考に供する事にした。その中でも吾輩の「脳髄論」の内容は、ここに挟んだ切抜きの通り、既に新聞に素《す》ッ破抜《ぱぬ》かれているので、これ以上の内容がある訳でもないから、惜《くや》しい事はちっともない。又、精神解剖学以下、精神病理学に到る研究のヒレどころも、既に、二十年前に吾輩が、卒業論文として九大に提出したこの「胎児の夢」の論文の中に含まれているのだから大略するとして、ここには只、吾輩大得意の「狂人の解放治療」と「心理遺伝」の関係に就《つい》て略記しておきたいと思う。
これを前の新聞記事や、胎児の夢の論文と一緒に読めば、前述の美少年と美少女を材料とする怪実験が、大正十五年の十月十九日……すなわち今日の正午を期して、空
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