…という位である。みんな不思議だ不思議だというが、そんな事実が在り得るとか、在り得ないとか断言し得る者は一人も居ない。あっても終《しま》いには水掛論《みずかけろん》になってしまうので、結局、お互いの脳髄を怪しみ合いつつ物別れになる事が、最初から解り切っている。そうして、あーでもない。コウでも駄目だと、あらゆる推理や想像を捏《こ》ねくりまわしたあげく、トウトウ悲鳴をあげ初めて『脳髄が、脳髄の事を考えるとはコレ如何《いか》に』なぞと、場末の寄席みたようなコンニャク問答の鉢合せを繰り返している現状ではないか。
ドウダ諸君……ザットしたところがコンナ調子である。
『人間の脳髄』が何よりも先に研究を遂げておかねばならぬ『人間の脳髄の病理』……精神病学の基礎、中心となるべき重要な諸問題は、御覧の通り『物を考える脳髄』のために、片《かた》っ端《ぱし》からフン詰まりの状態を現出させられているではないか。地上、一切の精神病学者と、一切の精神病院の診断、治療を、無能、無意義の嘲笑の中に立往生させているではないか。そうして地上、無数の精神病者を、永久、絶対に救われ得ない侮蔑、虐待の世界に放置させているではないか。この世からなるキチガイ地獄を、全地球表面上に現出させているではないか。
これが偉大なる『脳髄のイタズラ劇』でなくて何であろう。『物を考える脳髄』が『物を考える脳髄』に自作自演さした一大恐怖ノンセンス劇のドン詰めでなくて何であろう。
拍手するものは拍手せよ。
喝采するものは喝采せよ。
泣くものは泣け。笑う者は笑え。
吾輩……アンポンタン・ポカンはこの脳髄文化の現状に気が付くと同時に、歯の根が合わなくなったのだ。この恐怖戦慄に価する脳髄社会の光景を、人知れず嘲笑しているポカン自身の脳髄の冷めたさを自覚すると同時に、左右の膝頭《ひざがしら》の骨がガタガタと外《はず》れそうになったのだ。この脳髄のトリックをタタキ破って、脳髄に対する汎世界的の唯物科学的迷信をドン底から引っくり返して、かくも残忍、悽愴を極めた大恐怖ノンセンス劇の興行を停止させずにはおられなくなったのだ。
吾輩……アンポンタン・ポカンはここに於て立ち上った。奮然として腕に綟《より》をかけた。猛然、畢生《ひっせい》の心血を傾注した最高等の探偵術を応用しつつ、無限の時空に亘って捜索の歩を進めた結果、遂にこの脳髄と称する大悪魔の正体……『呪われたる唯物文化の偶像』の正体を徹底的に看破する事が出来たのだ。全人類界の大悪夢……『物を考える脳髄』に関する迷信、妄執を喚《よ》び醒ますべく『絶対無上の大真理』に逢着《ほうちゃく》する事が出来たのだ。
……しかも……その大真理なるものは、それが余りに簡単で、平凡であり過ぎるために、却《かえ》って誰にも気付かれなかった程の驚異的な大真理であった。初めて脳髄が発見されて以来、ベーコン、ロック、ダーウィン、スペンサー、ベルグソンなんどに到るまでのアラユル非凡な脳髄たちが、彼等自身に認識し得なかったところの『脳髄の真活躍』そのものでなければならなかった。地上二十億の生霊を弄殺《ろうさつ》しつつある『脳髄の大悪呪文』を焼き棄てる一本の燐寸棒《マッチぼう》に外ならなかったのだ。
諸君よ。欣喜雀躍《きんきじゃくやく》せよ。勇敢に飛び上り、逆立ち、宙返りせよ。フォックストロット、ジダンダ、ステップせよ。
交通巡査も安全地帯も蹴飛《けと》ばしてしまえ。
古来今に亘る脳髄の専制横暴……人類最後の迷信から解放された凱歌を歌え。
吾輩……アンポンタン・ポカンは遂に此《かく》の如くにして、地上の大悪魔を諸君の眼前にまで追究して来たのだ。神出鬼没、変幻自在の怪犯人、残忍非道のイタズラ者のトリックの真相をドン底まで突き止めて来たのだ。そうしてタッタ今、その大悪魔の正体……ポカン自身の脳髄を、諸君の眼の前にタタキ付けて、絶叫する光栄を有するのだ。……曰《いわ》く……
……脳髄は物を考える処に非ず……
……と……」
× × ×
アッハッハッハッハッハッ。どうだい。痛快だろう。超特急だろう。絶対的ブラボーだろう。全世界二十億の脳髄をダアとなすに足る、超特急探偵小説だろう。
……ナニイ。まだ解らない……?……。
アハアハアハ。それは脳髄で考える癖がまだ抜け切れないからだよ。「精神は物質也」式の唯物科学的迷信が、まだ頭の隅のドコかにコビリ付いているせいだよ。
聞き給え。吾が青年名探偵アンポンタン・ポカン博士は、タッタ今地上にタタキ付けたばかりの泥ダラケの脳髄を指して、コンナ論証を続けているのだ。
× × ×
「……見よ……聞け……驚け……呆れよ。
前へ
次へ
全235ページ中67ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング