だ」としか説明が出来なくなっているではないか。
ところが生憎《あいにく》な事に、そうした中風患者の脳髄を病理解剖に附した結果を見ると、いつも豈計《あにはか》らんやの正反対になっている。脳出血でやられているのは、脳髄の全体ではない。僅かに脳髄の中の或る小さな、狭い、一箇所だけに限られている場合が極めて多いのだから皮肉ではないか。泣きも笑いも出来ない脳髄のイタズラ劇にしかなり得ないから悲惨ではないか。
モット皮肉で奇抜な例には夢中遊行《むちゅうゆうこう》というのがある。この病気は無論アタマ万能宗の科学者達には寄っても附けない不可解病として諦らめられ、敬遠されているのであるが、しかもその上に、そのフラフラの夢中遊行患者は、そんな科学者たちのアタマをイヨイヨ馬鹿にすべく、色々な奇蹟を演出する事があるのだ……たとえばこの種の患者は、その夢中遊行の発作に罹《かか》っている最中に限って、トテモその人間のアタマとは思えない素晴らしい智慧や技巧をあらわして、人間|業《わざ》では出来そうにないスゴイ仕事をやって退《の》けたりする。……のみならずその人間が翌《あく》る朝眼を醒ますと、いつの間にやら元の木阿弥《もくあみ》のケロリン漢に立ち帰って、そんな素敵な記憶の数々を、ミジンも脳髄に残していないというような摩訶《まか》不思議をあらわす。そうして『脳髄は物を考える処』とか『感ずる処』とか『記憶する処』とかいう迷信を迷信しているその方面の専門家連中の脳髄の判断力を一つ残さず、絶対、永久のフン詰まり状態にフン詰まらせている。
「トテモ人間の脳髄では考えられない」
なぞと悲鳴を揚《あ》げさせているからモノスゴイではないか。
ヤリキレナイ脳髄の恐怖劇ではないか。
しかも唯物宗の牧師、科学万能教の宣教師をもって自ら任じている科学者のすべては、それでもまだ懲《こ》りないで、脳髄の絶対礼讃を高唱している。
「脳髄の大きさはその持ち主の進化程度をあらわし、その渦紋の多寡《たか》はその文化程度を示している。すなわち人類は、その大きな、発達した脳髄のために存在しているので、その脳髄は又、物を考えるために存在しているのだ。だから脳髄は文化の神、科学世界の造物主、唯物宗の守り本尊である」
とか何とかいう迷説を聖書以上に尊重して、一所懸命に自己の脳髄の権威を擁護しているが、しかも、そんな科学者たちの顕微鏡の下で、脳髄どころか、頭も尻も無い下等動物の連中が、暑い寒いを正確に判断したり、喰い物の選《え》り好みをするのはまだしも、人間の脳髄なんぞが寄っても附けない鋭敏な天気予報までも、ハッキリと現わして見せるから痛快ではないか。おまけにソンナ下等動物は、口にこそ云わねメイメイに身ぶり素振りで、
「脳髄が無くとも物は考えられますよ」
「私たちは全身が脳髄なのですよ」
「私たちは脳髄の全体をソックリそのまま変形して、手足にしたり、胴体にしたり、又は耳、眼、口、鼻、消化排泄、生殖器官なんどの色々に使い分けているのですよ」
「あなた方は、そんな作用を分業にして、別々の器官に受持たせておられるだけの事ですよ」
「あなた方の手足だってチャント物を考えているのですよ」
「お尻でも見たり聞いたりしているのですよ」
「股を抓《つ》ねれば股だけが痛いのですよ」
「蚤《のみ》が喰えばそこだけが痒《かゆ》いのですよ」
「脳髄は痛くも痒ゆくも何ともないのですよ」
「まだお解りになりませんか」
「アハハハハハハハハ」
「オホホホホホホホホホ」
「イヒヒヒヒヒヒヒ」
と笑い転げているからベラボーではないか。
これが脳髄の諷刺劇でなくて何であろう。
これが脳髄のトリック芝居でなくて何であろう。
それかあらぬか一方には、この唯物文化のまっただ中に、精神や霊魂関係の、怪奇劇や神秘劇が大昔のまんまに現われて来る。しかも、モウ沢山というくらいに、後から後から現われて来て、一々人間のアタマを冷笑して行くから愉快ではないか。
唯物資本主義の黄金時代、科学文化で打ち固めた大都会のマッタダ中で、死んだ人間が電話をかけたり、知らない人間が一緒に写真に映ったりする。又は宝石が美人の寿命を吸い減らしたり、魔の踏切が汽車を脅《おび》やかしたりするはまだしも、大奈翁《だいなおう》の幽霊がアメロンゲン城の壁を撫でて、老カイゼルに嘆息して聞かせたり、ツタンカーメン王の木乃伊《みいら》が埃及《エジプト》探検家に祟《たた》ったりする。現に科学的推理の天才的巨人、指紋、足跡、煙草の灰式、唯物的探偵法の創始者シャーロック・ホルムズさえも、晩年に到ってはトウトウこの種の怪現象に引きずり込まれて、心霊学の研究に夢中になったまま息を引取った……のみならず、あの世からイーサーの波動を用いない音波をもって、生き残った妻子に話しかけた…
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