て指ささせようとしている。その確信の底深さ……その計劃の冷静さ……周到さ……。
 ……それならば先刻《さっき》から見たり聞いたりした色々な出来事は、やっぱり真実《ほんとう》に、私の身の上に関係した事だったのか知らん。そうしてあの少女は、やはり私の正当な従妹《いとこ》で、同時に許嫁《いいなずけ》だったのか知らん……。
 ……もしそうとすれば私は、否《いや》でも応《おう》でも彼女のために、私自身の過去の記念物を、この部屋の中から探し出してやらねばならぬ責任が在ることになる。そうして私は、それによって過去の記憶を喚び起して、彼女の狂乱を救うべく運命づけられつつ、今、ここに突立っている事になる。
 ……ああ。「自分の過去」を「狂人《きちがい》病院の標本室」の中から探し出さねばならぬとは……絶対に初対面としか思えない絶世の美少女が、自分の許嫁でなければならなかった証拠を「精神病研究用の参考品」の中から発見しなければならぬとは……何という奇妙な私の立場であろう。何という恥かしい……恐ろしい……そうして不可解な運命であろう。
 こんな風に考えが変って来た私は、われ知らず額《ひたい》にニジミ出る汗を、ポケットの新しいハンカチで拭いながら、今一度部屋の内部《なか》を恐る恐る見廻しはじめた。思いもかけない過去の私が、ツイ鼻の先に隠れていはしまいかという、世にも気味の悪い想像を、心の奥深くおののかせ、縮みこませつつ、今一度オズオズと部屋の中を見まわしたのであった。

 部屋の中央から南北に区切った西側は、普通の板張で、標本らしいものが一パイに並んだ硝子《ガラス》戸棚の行列が立塞《たちふさ》がっているが、反対に東側の半分の床は、薄いホコリを冠った一面のリノリウム張りになっていて、その中央に幅四五尺、長さ二|間《けん》ぐらいに見える大|卓子《テーブル》が、中程を二つの肘掛廻転椅子に挟まれながら横たわっている。その大卓子の表面に張詰めてある緑色の羅紗《らしゃ》は、やはり薄いホコリを被《かぶ》ったまま、南側の窓からさし込む光線を眩《まぶ》しく反射して、この部屋の厳粛味を一層、高潮させているかのようである。又、その緑色の反射の中央にカンバス張りの厚紙に挟まれた数冊の書類の綴込《とじこ》みらしいものと、青い、四角いメリンスの風呂敷包みが、勿体らしくキチンと置き並べてあるが、その上から卓子の表面と同様の灰色のホコリが一面に蔽《おお》い被《かぶ》さっているのを見ると、何でも余程以前から誰も手を触れないまま置き放しにしてあるものらしい。しかもその前には瀬戸物の赤い達磨《だるま》の灰落しが一個、やはり灰色のホコリを被ったまま置き放しにしてあるが、それが、その書類に背中を向けながら、毛だらけの腕を頭の上に組んで、大きな口を開きながら、永遠の欠伸《あくび》を続けているのが、何だか故意《わざ》と、そうした位置に置いてあるかのようで、妙に私の気にかかるのであった。
 その赤い達磨《だるま》の真正面に衝《つ》き立っている東側の壁面《かべ》は一面に、塗上げてから間もないらしい爽かな卵色で、中央に人間一人が楽に跼《かが》まれる位の大|暖炉《ストーブ》が取付けられて、黒塗の四角い蓋がしてある。その真上には差渡し二尺以上もあろうかと思われる丸型の大時計が懸かっているが、セコンドの音も何も聞えないままに今の時間……七時四十二分を示しているところを見ると、多分、電気仕掛か何かになっているのであろう。その向って右には大きな油絵の金縁額面、又、左側には黒い枠に囲まれた大きな引伸し写真の肖像と、カレンダーが懸かっている。その又肖像写真の左側には今一つ、隣りの部屋に通ずるらしい扉が見えるが、それ等のすべてが、清々《すがすが》しい朝の光りの中に、或《あるい》は眩《まぶ》しく、又はクッキリと照し出されて、大学教授の居室らしい、厳粛な静寂《しじま》を作っている光景を眺めまわしているうちに、私は自から襟を正したい気持ちになって来た。
 事実……私はこの時に、ある崇高なインスピレーションに打たれた感じがした。最前から持っていたような一種の投《なげ》やりな気持ちや、彼女の運命に対する好奇心なぞいうものは、どこへか消え失せてしまって……何事も天命のまま……というような神聖な気分に充たされつつ詰襟のカラを両手で直した。それから、やはり神秘的な運命の手によって導かれる行者のような気持ちでソロソロと前に進み出て、参考品を陳列した戸棚の行列の中へ歩み入った。
 私はまず一番明るい南側の窓に近く並んでいる戸棚に近付いて行ったが、その窓に面した硝子戸の中には、色々な奇妙な書類や、掛軸のようなものが、一々簡単な説明を書いた紙を貼付けられて並んでいた。若林博士の説明によると、そんなものは皆「私の頭も、これ位に治癒《なお》りまし
前へ 次へ
全235ページ中27ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング