……」
 若林博士のこうした言葉には、鉄よりも固い確信と共に、何等かの意味深い暗示が含まれているかのように響いた。
 しかし私は、そんな事には無頓着なまま、頭を今一つ下げた。……どこへでも連れて行くがいい。どうせ、なるようにしかならないのだから……というような投げやりな気持で……。同時に今度はドンナ不思議なものを持出して来るか……といったような、多少の好奇心にも駈られながら……。
 すると若林博士も満足げにうなずいた。
「……では……こちらへどうぞ……」

 九州帝国大学、医学部、精神病科本館というのは、最前の浴場を含んだ青ペンキ塗《ぬり》、二階建の木造洋館であった。
 その中央《まんなか》を貫く長い廊下を、今しがた来た花畑添いの外廊下づたいに、一直線に引返して、向う側に行抜けると、監獄の入口かと思われる物々しい、鉄張りの扉に行き当った……と思ううちにその扉は、どこからかこっちを覗いているらしい番人の手でゴロゴロと一方に引き開いて、二人は暗い、ガランとした玄関に出た。
 その玄関の扉はピッタリと閉め切ってあったが多分まだ朝が早いせいであったろう。その扉の上の明窓《あかりまど》から洩れ込んで来る、仄青《ほのあお》い光線をたよりに、両側に二つ並んでいる急な階段の向って左側を、ゴトンゴトンと登り詰めて右に折れると、今度はステキに明るい南向きの廊下になって、右側に「実験室」とか「図書室」とかいう木札をかけた、いくつもの室が並んでいる。その廊下の突当りに「出入厳禁……医学部長」と筆太に書いた白紙を貼り附けた茶褐色の扉が見えた。
 先に立った若林博士は、内ポケットから大きな木札の付いた鍵を出してその扉を開いた。背後《うしろ》を振り返って私を招き入れると、謹しみ返った態度で外套《がいとう》を脱いで、扉のすぐ横の壁に取付けてある帽子掛にかけた。だから私もそれに倣《なら》って、霜降《しもふり》のオーバーと角帽をかけ並べた。私たちの靴の痕跡《あと》が、そのまま床に残ったところを見ると、部屋中が薄いホコリに蔽《おお》われているらしい。
 それはステキに広い、明るい部屋であった。北と、西と、南の三方に、四ツ宛《ずつ》並んだ十二の窓の中で、北と西の八ツの窓は一面に、濃緑色の松の枝で蔽《おお》われているが、南側に並んだ四ツの窓は、何も遮《さえぎ》るものが無いので、青い青い朝の空の光りが、程近い
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