の灰色のホコリが一面に蔽《おお》い被《かぶ》さっているのを見ると、何でも余程以前から誰も手を触れないまま置き放しにしてあるものらしい。しかもその前には瀬戸物の赤い達磨《だるま》の灰落しが一個、やはり灰色のホコリを被ったまま置き放しにしてあるが、それが、その書類に背中を向けながら、毛だらけの腕を頭の上に組んで、大きな口を開きながら、永遠の欠伸《あくび》を続けているのが、何だか故意《わざ》と、そうした位置に置いてあるかのようで、妙に私の気にかかるのであった。
 その赤い達磨《だるま》の真正面に衝《つ》き立っている東側の壁面《かべ》は一面に、塗上げてから間もないらしい爽かな卵色で、中央に人間一人が楽に跼《かが》まれる位の大|暖炉《ストーブ》が取付けられて、黒塗の四角い蓋がしてある。その真上には差渡し二尺以上もあろうかと思われる丸型の大時計が懸かっているが、セコンドの音も何も聞えないままに今の時間……七時四十二分を示しているところを見ると、多分、電気仕掛か何かになっているのであろう。その向って右には大きな油絵の金縁額面、又、左側には黒い枠に囲まれた大きな引伸し写真の肖像と、カレンダーが懸かっている。その又肖像写真の左側には今一つ、隣りの部屋に通ずるらしい扉が見えるが、それ等のすべてが、清々《すがすが》しい朝の光りの中に、或《あるい》は眩《まぶ》しく、又はクッキリと照し出されて、大学教授の居室らしい、厳粛な静寂《しじま》を作っている光景を眺めまわしているうちに、私は自から襟を正したい気持ちになって来た。
 事実……私はこの時に、ある崇高なインスピレーションに打たれた感じがした。最前から持っていたような一種の投《なげ》やりな気持ちや、彼女の運命に対する好奇心なぞいうものは、どこへか消え失せてしまって……何事も天命のまま……というような神聖な気分に充たされつつ詰襟のカラを両手で直した。それから、やはり神秘的な運命の手によって導かれる行者のような気持ちでソロソロと前に進み出て、参考品を陳列した戸棚の行列の中へ歩み入った。
 私はまず一番明るい南側の窓に近く並んでいる戸棚に近付いて行ったが、その窓に面した硝子戸の中には、色々な奇妙な書類や、掛軸のようなものが、一々簡単な説明を書いた紙を貼付けられて並んでいた。若林博士の説明によると、そんなものは皆「私の頭も、これ位に治癒《なお》りまし
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