ちぢめると五寸ぐらい背が低くなった。どっちから見てもズングリした、脂肪肥りのヘボ絵かきぐらいにしか見えなくなった。
 妾はいつもながらウルフの変装の上手なのに感心してしまった。口をへの字なりにして頬の肉をタルましたりしている顔付きのモットモらしいこと……妾だって往来のまん中でウルフを見つける事は出来ないだろうと思った。
 そのうちに厚ぼったい手袋のパチンをかけたウルフはヨロヨロと入口の方へ歩いて行った。もう一つのパンを黒い風呂敷包みにつつみ直して、大切そうに小腋に抱えると、扉《ドア》を静かに開いて廊下に出たが、扉《ドア》を閉めがけに今一度、共産党らしい、執着に冴えた眼の光りを妾の顔に注いだ。そうして念を押すように淋しくニッコリと笑いながら扉《ドア》を閉じた。

 その足音を聞き送ると、妾は、枕元のスイッチをひねってシャンデリヤを消した。パジャマと羽根布団で身体《からだ》を深々と包みながら、横のカアテンを引いた。硝子窓を開いて首を出した。
 窓の外はもう夕方で、山の手の方から海へかけて一面に灯《ひ》がともっている。そのキラキラした光りの海を青い、冷たい風が途切《とぎ》れ途切れに吹きまくって、横町から五階の窓まで吹き上げて、妾の頬を撫でて行くのがトテモ気持ちがいい。スチームのムンムンする室《へや》に居るよりも、窓からスーッと飛び出して、冷たい風の中を舞いまわった方がいいと思った。
 そう思いながらも、妾はジッと瞳を凝《こ》らして、真下に在るアパートの勝手口の処を見ていた。今のウルフの中川が、どんなに巧みな歩き方をして、街を横切って行くか見たかったから……そうして街を横切ってしまわないうちに、そこいらにウロ付いている私服に掴まったら……その時にあの爆弾を投げ付けたら……モウモウと起る土けむり……バラバラ散り落ちる家々の硝子窓……転がる首……投げ出す手……跳ね飛ぶ足……乱れ散る血しお……ホンモノの素晴らしいトオキー……。
 ところが眼の下のスクリーンはなかなか妾の思う通りに進展しなかった。狼《ウルフ》の中川は待っても待っても往来に姿をあらわさなかった。気が付いてみるとサッキからエレベーターの音がチットモ響いて来ないのは、もしかすると、どこかに故障が出来ているのかも知れない。だから中川はコツコツと階段を降りて行っているのかも知れないと思った。あとから考えるとこの時にハラムが何
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