かしら運命の神様にお祈りをしているのを、薄々気付いていたようにも思うけど……。
 妾は寒い往来を辷りまわる自動車を、あとからあとから見送っているうちに、鼻の穴がムズ痒《がゆ》くなって来た。今にもクシャミが出そうになったから、慌てて窓から首を引っこめようとした。
 するとその時だった。そんな自動車の群れの中から、見おぼえのある新型のフォードが眼の下のアパートの勝手口にスルスルと近付いた……と思うと、その中からブルドッグ・オヤジの黒い外套が茶色の中折れを冠り直しながらヒョロヒョロと降りて来た。その足どりを見るとかなり酔っているらしく、石段の前に立ちはだかって、もう一度帽子を冠り直しながら、あぶなっかしい手付きでネクタイを直し初めた。すると又それと殆んど同時に勝手口の扉《ドア》が開いたらしく、ウルフの猫背の姿がヨタヨタと石段を降りて来たが、その拍子に、這入りかけて来るブル・オヤジと真正面から衝突してしまった。
 妾はハッとした。今にも爆弾が破裂するかと思って、首を引っこめる心構えをした。けれども爆弾は破裂しなかった。
 妾は生唾《なまつば》をグット呑み込んだ。あんまり出来事が不意打ちで案外だったので、正直のところ胸がドキドキした。けれども、それが静まって来ると、一緒に、こうした不意打ちの出来事の原因がハッキリと妾にわかって来た。これは運命の神様のイタズラに違いないということが……。
 運命の神様ラドウーラの御つかわしめ[#「御つかわしめ」に傍点]になっているハラムは、ツイ今しがた妾の処からウルフが帰りかけたのを見るや否や、どこかでお酒を飲んでいるブル・オヤジに何かしら大変な急用を知らせたに違いない。ことによると昇降器に故障が出来たのもラドウーラ様がハラムに御命令遊ばしたトリックの一つかも知れない。そうしてウルフの帰りを手間取らして、妾の旦那と色男が、わざっと妾の眼の下の往来でブツカリ合うように時間を手加減なすったのかも知れない。
 そう思いながら腋の下の寒いのも忘れて一心に見とれていると、ブルとウルの二人は、だしぬけにブツカリ合ってビックリしたらしく一寸《ちょっと》の間《ま》、睨《にら》めくらをしているようであったが、そのうちにブル・オヤジはツカツカと二三歩踏み出した。……と……いかにも傲慢らしくウルフの肩に手をかけて二三度グイグイと小突きまわした。けれどもウルフは、それ
前へ 次へ
全20ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング