って、エサウシ山下の谷山別荘に帰り着くと、人知れずホットしいしい、ウイスキーを飲んで眠ったものだそうです。
ところがその翌《あく》る朝のこと。何かしら近所の人々の騒ぎまわる声が耳に這入ったので、何事かと思ってAが飛び起きてみると……どうでしょう。見覚えのある私の丸裸体の屍体が、自分の寝ている離れ座敷の直ぐ下の、石段の処に流れ着いているではありませんか。……その時の気味の悪かったこと……。あの石狩川の上流で、私を撃ち落した時以上のイヤな気持ちに、ゾーッと襲われたと云いますが、それはそうでしたろう。世にも恐ろしい因縁と云えば云えるのですからね。
しかしその屍体を、そのまんま知らん顔をして見逃がすことは、流石《さすが》にAの好奇心が承知しませんでした。のみならず、その屍体の血色や何かが、何となく違っていることが、素人眼《しろうとめ》にもわかりましたので、附近の者に手伝わせながら、気味わる気味わる石段の上の芝生に引き上げて、馳《か》け付けて来た医者と一緒に介抱をしておりますと、そのうちに意識を回復しかけた私が、非常な高熱に浮かされながら、盛んに譫語《うわごと》を云い初めたものだそうです。
ところが又、その譫語のうちに、普通人にはチンプン、カンプンの囚人用語が、チョイチョイ混っているのに気が付きますと、Aは忽《たちま》ち、今までの恐怖心理から一ペンに解放されまして、見る見る持ち前の記者本能に立ち帰ってしまったものだそうです。つまり是が非でも私の告白を絞り取って、有力な新聞|記事《だね》にすべく、アラユル努力を払った訳でしたが、その苦心努力の甲斐があって、首尾よく私が意識を回復してみますと……三度ビックリ……案外千万にもその私が、完全に過去の記憶から絶縁されている、一種の白痴同様の人間である事がわかった時には、ガッカリにもウンザリにも……今一度タタキ殺してやりたいくらい、腹が立ったものだそうです。
ところがサテその私が、頭や顔の手入れをして、見違えるような青年に生れ変ったのを見ますと、Aの気持が又もやガラリと一変してしまいました。……というのは外でもありません。Aはそこで、一つのステキもない巧妙な金儲けを思い付いたのでした。つまりA独特の猟奇《りょうき》趣味と、冒険趣味とを兼ねた、一挙三得の廃物利用を考え出しましたので、そのままグングンと仕事を運んで行ったものでした。
谷山家の内情……特に龍代の放埒《ほうらつ》の底意を、ドン底まで看破《みぬ》いておりましたAは、それから一か八かの芝居を巧みに打って、私を谷山家の養子に嵌《は》め込んでしまうと、いい加減な口実を作って、かなりの金を龍代から絞り取ったまま、パッタリと消息を絶ってしまったのです。
しかもこれを見た龍代は、愚かにも、スッカリ安心してしまったものでした……というのは、つまりAが自分の註文通りに、どこか遠い処へ立去ったものと考えましたからで、こんな点では龍代も、普通の金持の子弟と同様に、お金の力を過信する傾向があったのですね。むろん私にもそれとなく打ち明けて、万事が清算済みになったつもりでいたらしいのですが、これが豈計《あにはか》らんやの思いきやでした。なかなかそれ位のことで諦らめ切れるAの悪魔趣味ではなかったのです。モットモット大きく、私共夫婦を中心とする谷山家の全体を、地獄のドン底に落ちる迄絞り上げながら、高見《たかみ》の見物をしてやろうという、その準備計画のために、ホンの暫くの間、姿を晦《くら》ましていたものに過ぎませんでした。
Aは先ず、彼の記憶に残っている私の言葉の九州|訛《なまり》と、囚人用語との二つの手掛りを目標にして、探索の歩を進むべく、とりあえず小樽タイムスを飛び出して、九州北部の大都会、福岡市の片隅に在る小さな新聞社に就職しました。そうしてそこを中心にした同県下の警察や、新聞社方面に就いて、私の年齢に相当した前科者や、失踪者の名前を根気よく探してまわったものですが、そのうちに偶然にも、福岡市の某大新聞社に保存して在る、六七年|前《ぜん》の新聞の綴込みの中から「青年|刺客《しかく》」という大活字を添えた、私ソックリの大きな写真版を発見した時のAの驚ろきと喜びはドンナでしたろう。ほかの新聞に出ていた囚人姿や、学生姿の写真が皆、私に似ても肖付《につ》かぬ朦朧《もうろう》写真であったのに、タッタ一つその紙面にだけ掲載されていた、私の少年時代の浴衣《ゆかた》がけのソレが現在の私に酷似していたことは何という奇蹟でしたろう。
しかもそこまでわかるとAの仕事は最早《もはや》、半分以上片付いたようなものでした。その社の整理係の連中に知れないように、精巧な写真機を担《かつ》ぎ込んで、その紙面ばかりでなく、私の生い立ちや、脱獄の記事を満載した紙面までも残らず複写して、一直線に北海道に帰って来ましたAは、その後の私の動静を、詳細に亙《わた》って探りまわった序《ついで》に、二人の間に愛の結晶が出来かけている事実まで、透《す》かさずキャッチしてしまいますと、なおも最後的な脅迫材料を掴むべく、もう一度、極《ごく》秘密の裡《うち》に、石狩川の上流を探検に出かけたものです。
彼はモウその時には、旭岳の斜面の一軒家が、私の棲家であったことを確信していたものでしょう。ですからそこまで突込んで、何かしら動きの取れない材料を掴んだ上で、今の新聞紙面か何かと一緒に、私へ突付ける心算《つもり》だったのでしょう。
ところがそこまではAの着眼が百二十パーセントに的中していたのですから、先ず先ず大成功と云ってもよかったのですが、それから先がどうもイケませんでした。
……というのは外でもありません。流石《さすが》に悪魔式の明敏なアタマを持っておりましたAも、ここで一つの小さな……実は極めて重大な手落《ておち》をしている事に、気が付かないでいるのでした。すなわち樺戸に訪ねて来ました、女給の久美子の行衛《ゆくえ》について、深い考慮を払っていなかったことで、つまり久美子のああした行動は、テッキリ活動屋の宣伝に使われたものとばかり考えていたのです。そうして久美子自身は、新聞記事と一所に音も香《か》もなく消え失せたものと、信じ切っていたのですね。これは要するにAの頭が、アンマリ冴え過ぎていたところから起った間違いでしたが、しかもそのお蔭で折角のAの計画が実に意想外とも、ノンセンスとも云いようの無い、悲惨な結果に陥ることになったのです。
それから約一箇月ばかり経った、秋の初めのことでした。
骸骨のように痩《や》せこけた身体《からだ》に、ボロボロの登山服を纏《まと》うて、メチャメチャに壊れたカメラを首に引っかけた、乞食然たる男の姿が、ヒョッコリ旭川の町に現われて、何やら訳のわからない事を口走りながら、ウロウロし初めました。その男はヒドイ紫外線か、雪ヤケにかかったらしい、泥のような青黒い顔をしておりまして、そのボックリと凹《へこ》んだ眼窩《がんか》の奥から、白眼をギラギラと輝やかし、木の皮や、草の根の汁で染まった黄金《きん》色の歯をガツガツと鳴らしながら、川を渡るような足取で、ヒョロリヒョロリと往来を歩いているという、世にもモノスゴイ風《ふう》付きでしたが、更にモットモット不思議な事には、その男の凹《へこ》んだ眼の底に、裸体か、もしくは裸体に近い女の姿がチラリとでも映ると、それが絵であろうと、実物であろうと見境《みさか》いは無い。破れ千切《ちぎ》れた登山靴を宙に飛ばして、逃げ出して行くのでした。そうして知らない家《うち》でも、自働電話でも何でも構わない。行きなり放題に飛込んで、救《たす》けを求めるかと思うと、進行中の電車や汽車に飛び乗りかけて、跳ね飛ばされたりするので、トテモ剣呑《けんのん》で仕様がないのです。……ええ……そうなんです。近頃は方々の店先に裸体画が殖《ふ》えて来ましたからね。おまけに秋口といっても、旭川の日中はまだ相当暑いのですからね。何でもソレらしいものを見さえすれば、絵葉書屋の前だろうが、川の中の洗濯女だろうが見境いは無い。又は一里先だろうが鼻の先だろうがおなじこと。悲鳴をあげて狂い出すのでトウトウ旭川の町中の大評判になってしまいました。
ところがそのうちに、そのエロ狂の骸骨男が、ドウ戸惑いをしたものか、旭川の警察署へ飛び込んで、保護を受けるようになりますと、世間は又広いもので、意外にもその骸骨男を引取りたいという、篤志家《とくしか》が現われて来ました。
その篤志家というのは、東京の目黒に在る精神病院の副院長で、その当時旭川に帰省していた、何とかいう富豪の医学士でしたが、その骸骨男……すなわちAの事を書いた新聞記事の切抜を持って、旭川署に出頭しますと、自分の研究材料としてAの身柄を引取りたい旨《むね》を、恭《うやうや》しく申出たものだそうです。もっとも最初のうちにAの精神状態を、新聞記事によって判断したその医者は、極めて著明な色情倒錯と思っていたそうで、ステキに珍らしい実例として、論文の材料にするつもりだったそうですが……ちょうど又、警察でも願ったり叶《かな》ったりのところだったので、厄払いのつもりで、よく調べもせずに引渡したものだそうですが……そうなるとそこは流石《さすが》に専門家だけあって、催眠術や、鎮静剤を巧みに使い分けながら、無事に東京まで連れて来て、自分の受持の病室に、首尾よくAを監禁してしまいました。そうして半年ばかり経過するうちに、栄養が十分に付いて来て、云う事がイクラカ筋立って来た頃を見計《みはから》って、なだめつ賺《す》かしつしながら色々と事情を聞き訊《ただ》してみますと……色情倒錯どころの騒ぎではない。大変な事実をAは喋舌《しゃべ》り初めたのです。
Aはその副院長の前で、谷山家の秘密を洗い渫《ざら》いサラケ出したばかりでなく、自分の発狂の真原因までも思い出して、アッサリ白状してしまったのでした。
Aは石狩川の上流を探検して、千辛万苦の末に、ようようの事で旭岳の麓の私の留守宅を探し当てたのです。そうして最早《もはや》、スッカリ原始生活に慣れ切っている久美子と、四人の子供達が、澄み切った真夏の太陽の下で、丸裸体《まるはだか》のまま遊び戯《たわむ》れている姿を、そこいらのトド松の蔭から、心ゆくまで垣間《かいま》見た訳ですが、その時のAの驚きはドンなでしたろう。夢にも想像し得なかった神秘的な光景に接して、開いた口が塞《ふさ》がらなかった事でしょう……のみならずそこでヤット一切の事情を呑み込んだAは、懐中していた新聞紙面の複写の中に在る久美子の写真と、実物とを引き合わせてみた時の喜びは又ドンナでしたろう。これこそ谷山家の一切合財を、地獄のドン底まで突き落すに足る大発見と思って、胸を轟《とどろ》かしたに違いありません。……その時まではまだ龍代が自殺していなかった筈ですからね……。
けれどもAはここで又、第二段の失策に足を踏みかけていることに気付きませんでした。つまりAはそこで、久美子と子供達の写真を、何枚か撮っただけで、一先《ひとま》ず探険を切上げて来ればよかったのですが、そうしなかったのがAの運の尽きでした。……もっともそのような、エロともグロとも形容の出来ないスバラシイ情景を、遠くから眺めたまま引返すというようなことは、新聞記者根性のAにとって絶対に不可能な事だったかも知れません。或はそのエロ・グロの女主人公《ヒロイン》に対して、A一流の冷酷な野心を起したものかも知れませんが、とにかく吸い寄せられるようにフラフラとなったAは、吾《わ》れ知らず熊笹を押し分けながら、その方向に近付いて行ったものです。
すると間もなく大変な事が起りました。
永い間、男気無しのまま、人跡絶えたモノスゴイ山奥に、原始生活をして来た気の強い女……ことにタッタ一人でアラユル飢寒と戦いながら、四人もの子供を育てて来た母性が、如何に慓悍《ひょうかん》狂暴な性格に変化するものかという事実は、普通人のチョッと想像の及ばないところでしょう。……まして況《いわ》んやです。ずっと以前に
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