けなく、Aの帽子を弾《は》ね飛ばしたのでイヨイヨ肝魂《きもたましい》も身に添わなくなったAは、それこそ死に物狂いの無我夢中になって、夜となく昼となく裸体女の幻影に脅やかされながら、人跡未踏の高原地をさまよい初めました。
 日が暮れて、夜が明けても、まだ女が追掛けて来るらしい風の音が、四方八方に聞こえる。息も絶々《たえだえ》に疲れて打ち倒れても、睡るとすぐにライフルの音が聞えたり、女の乱髪が顔を撫でたりする。そこで又も、夢うつつのまま起き上って、青天井や星空の下をよろめきまわるという、世にも哀れな状態になってしまいました。そうしてどこを、ドウ抜けて来たものか野垂死《のたれじに》もせずに、生きた木乃伊《ミイラ》と同様の浅ましい姿で、旭川の町にさまよい出ると、裸体女が眼に付くたんびに飛び上って悲鳴をあげる。そうかと思うとどこへでも駈け込んで、
「……タ……大変だ……谷山家の重大秘密だ……二重結婚だ……脱獄囚の妻だ……天女の姿をした猛獣だ……」
 なぞとアラレもない事を口走るようになった……というのがAの発狂の真相だったのです。
 ……ところでこの真相を聞き出した今の精神病院の副院長は、最初の
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