んか。しかも今頃になって……ハハハ……」
 と打消すには打消したものの、それでも押え切れない不吉な胸騒ぎをドウする事も出来ないまま、立ち竦《すく》んでいたことでした。
 私はそれから後《のち》、四五日の間というもの、ドウしても遠くに出歩《であ》るく気がしなかったものです。むろん写真まで撮られていようなぞいう事は、夢にも気付きませんでしたので、ただ、私共の居る神秘境をダシヌケに掻き乱して行った巨鳥の姿を、思い出しては溜め息しいしい、家《うち》の周囲の畠ばかりをいじくっていたものですが、そのうちに又、眼の前に差迫っている冬籠《ふゆごも》りの用意の事を思出しますと、何がなしにジッとしては居られなくなりましたので、お天気のいいのを幸いに、手製のタマ網を引っ担《かつ》いで、鱒《ます》をすくいに出かけました。
 久美子はその時にも、不安そうな顔をして私を引止めましたが、矢張《やは》り虫が知らせたとでも申しましょうか。それを振り切って山を下りまして、紅山桜《べにやまざくら》や、桂の叢林を分けながら、屏風《びょうぶ》を切り立ったような石狩本流の崖の上まで来ますと、生木《なまき》の皮で作った丈夫な綱をブラ下げまして、下の石原に降り立って、岩の間の淀みに迷う鱒や小魚を、掬《すく》い上げ掬い上げしておりました。
 すると……どうでしょう。まだホンの五六匹しか掬い上げていないと思ううちに、ツイ向うの川隈の岩壁の蔭から、中折帽を眉深《まぶか》に冠《かぶ》った洋装の青年が、畳《たた》みボートを引っぱりながら、ヒョックリと顔を突き出したではありませんか……。
 ……私はその青年と暫《しばら》くの間、顔を見交したまま立ち竦んでいたようです。しかしその中《うち》に電光のように……これはいけない……と気が付きますと、大切なタマ網を腰巻の紐に挿すや否や、崖にブラ下がっていた綱に飛付いて、一生懸命に攀《よ》じ登り初めました……が……しかしモウ間に合いませんでした。まだ半分も登り切らないうちに、思いがけない烈しい銃声が二三発、峡谷の間に反響して、私の縋《すが》っていた綱が中途からプッツリと撃ち切られました……と思うと、一旦、岩の上に墜落しました私は、心神喪失の仮死状態に陥ったまま、苔《こけ》だらけの岩の斜面を、急流の中へ辷《すべ》り落ちて、そのまま見えなくなってしまったものだそうです。
 この時に私を撃ち落
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