》の実を拾いながらヤットのことで、念がけていた人跡未踏の山奥に到着しますと、私は辛苦艱難をして持って来た鍬と、ナイフで木を伐《き》り倒して、頑丈な掘立て小舎を造り、畠を耕して自給自足の生活を初めると同時に、小川の魚を釣って干物にしたり、木の実を煮て苞《つと》に入れたりして、冬籠《ふゆごもり》の準備を初めました。
二人はそこで初めて、この上もなく自由な、原始生活の楽しさを悟ったのです。科学、法律、道徳といったような八釜《やかま》しい条件に縛られながら生きている事を、文化人の自覚とか何とか錯覚している馬鹿どもの世界には、夢にも帰りたくなくなったのです。
二人は約束しました。……二人はこれから後《のち》イクラ子供が出来ても、年を老《と》っても、モウ人間世界へは帰るまい。アダムとイブが子孫を地上に繁殖させたようにして、吾々の子孫をこの神秘境に限りなく繁殖させよう。自然のままの文化部落を作らせよう……と……。
彼女はそれから年児《としご》を生みました。私が二十一の年から二十五までの間に、男の児と女の児を二人|宛《ずつ》、都合四人の子供を生みましたが皆、病気一つせずに成長しましたので、山の中が次第に賑《にぎ》やかになって参りました。
ところが忘れもしませんその二十五の夏の事でした。最前お話しました新聞社の飛行機が、突然に私の家《うち》の上を横切りましたのは……。
その時の子供たちの脅《おび》えようといったらありませんでした。ちょうど私は家《うち》の前の草原《くさはら》に、放射状の花壇を作って、山から採って来た高山植物を植えかけておりましたが、思いがけない西北の方角から、遠雷のような物音が近付いて来ますと、踊るような恰好をして逃げ迷っている子供等と一所に、慌てて家《うち》の中へ逃げ込んだものです。そうして軒下《のきした》に積んだ寝床用の枯草の中から、青い青い石狩岳の上空に消え失せて行く機影を見送っているうちに何か知らタマラない不吉な予感に襲われましたので、ホーッと溜息を吐《つ》いておりますと、その背後から久美子もソッと不安気な顔をさし出して、
「妾《わたし》達を探しに来たのじゃないでしょうか」
と云ったものです。それを聞くと私は、思わずドキンとしましたが、しかし顔ではサリ気なく微苦笑しまして、
「ナアニ。俺たちみたような人間を探すのに、ワザワザあんな大袈裟な事をするも
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