した洋装の青年が、最前お話しました新聞記者のAであったことは、申すまでもありません。同時に、この時に響いた二三発の銃声こそはAが私の運命を手玉に取り初めた、その皮切りの第一着手であったことも、トックにお察しが着いていることでしょう。
 但《ただし》……ここでチョットお断りしておきたいのは、この時までAが、私に対して、別段に、深刻な野心を持っていなかった事です。むしろAは私という奇妙な人間を発見して、タマラナイ好奇心を挑発されて行くうちに、いつの間にか悪魔的な、残虐趣味の世界へ誘い込まれて行ったもの……と考えてやった方が早わかりする事です。
 手早く申しますとAは、新聞記者一流の功名心に駆られた結果、夏の休暇を利用して、旭岳の麓の一軒屋の怪奇を探りに来た人間に過ぎなかったのです。……政敵、函館時報社の飛行機に先鞭《せんべん》を付けられて、地団太《じだんだ》を踏んでいた小樽タイムス社と、その後援者ともいうべき谷山家の援助を受けまして、畳《たたみ》ボートと、食糧と、それから腕におぼえのある熊狩用の五連発|旋条銃《ライフル》を担《かつ》ぎながら、深淵《しんえん》と、急潭《きゅうたん》との千変万化を極めた石狩川を遡《さかのぼ》って来た訳でしたが、幸運にもその一軒家の主人公らしい怪人物を発見すると間もなく、取り逃がしそうになりましたので、思い切って私を威嚇《いかく》すべく、頭の上を狙って二三発、実弾を発射したものに過ぎませんでした。
 ですからAが、その時にドレくらい狼狽致したかは、御想像に難くないでしょう。すぐに畳ボートを押し出して、危険を犯しながら激流の中を探しまわりました、そのうちに、どうしても私の死骸が見付からない事がわかりますと、今度はタマラナイ空恐ろしい気持になって来ました。
 Aは度々申しました通り、冒険好きの新聞記者です。つまり普通とは違った神経を持っていた訳ですから、人間を一人や二人、ソッと見殺しにする位のことは、何とも思わない性格の男に相違ないのでしたが、しかし……何しろ人跡絶えた山奥の谿谷《けいこく》で、水の音ばかり聞こえる寂寞《せきばく》境ですからね。そんな処で思いがけなく、奇妙な恰好をした丸裸体《まるはだか》の人間を一匹撃ち落したのですからね。……何ともいえない鬼気に迫られたのでしょう。四五日もかかって遡った急流|激潭《げきたん》を、タッタ一日で走り下
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