みると外は立派な蛙の町です。そうしてその町がどこまでもどこまでも蛙ばかりで、電車も自動車も蛙で埋まったまま動かなくなって並んでいます。
そこへオシャベリ姫が飛び出したので、今までよりも一層大さわぎとなって、
「ガアガアガアガアガア
ワーワーワーワーワー」
とまるで大暴風《おおあらし》のように騒ぎ出します。
姫は夢中になって蛙の頭を踏みつけながら、町の外へ逃げ出しました。
野原でも林でも田圃でも何でも構わずにドンドンドンドン駆け出しますと、蛙たちはあとから押し合いへし合い追っかけます。
姫は息が切れて足が疲れて死にそうになりましたが、それでも蛙たちは追っかけやめません。
そのうちに日が暮れて、東の山からまん丸いお月様が出て来ました。
そのお月様をみると、オシャベリ姫はホッと一息しました。
日が暮れたらいくら蛙でも最早《もう》追っかけて来はしまいと思いましたが、それは大変な間違いでした。
日が暮れてお月様が出ると、野原の方は一面に蛙ばかりがいるようにガアガアガアガアと鳴き声がして、もう足元に追っかけて来そうです。
これは大変と、姫は又も山の方へ山の方へとあとをふり返りふり返り逃げて行きましたが、そのうちに、とある高い崖の上に来ますと、眼の下に絵のような美しい都が見えて来ました。
その都はほんとに絵のように美しい都でした。
どの家もどの家も白い壁に青い屋根で、その下から青や黄色の電燈がキラキラと光っています。
その真中には大きな黒い鉄のお城がありまして、その中から紫のあかりが眩《まぶ》しいほど光って見えました。
その上にはお月様と星が光っていて、その美しいこと……そうしてその静かなこと……電車の音も自動車の響《ひびき》も人間や犬の声なぞも何もきこえません。生きたものが住んでいるのかどうかわからない位です。
オシャベリ姫はしばらくの間ボンヤリその景色に見とれていましたが、
「ああ、こんな静かな所にいたらさぞいいだろう。昼間オシャベリをする雲雀や、夜中に鳴きまわる蛙がいないから、どんなにうるさくなくていいだろう」
と思いながらフト足もとを見ますと、一本の蔦葛《つたかずら》が垂下《たれさが》って、ずうっと崖の下の家の側まで行っております。
オシャベリ姫は直ぐにその蔦葛を伝って下へ降り初めました。
「もうこの国へ来たら口を利くまい。この国にはあの雲雀や蛙の口のように、もっとやっぱりあたしよりもずっとひどいオシャベリがいて、あたしをシャベリ負かしていじめるに違いない。そうしてオシャベリさえしなければきっと親切にしてもらえるに違いない」
とこう思いながら、オシャベリ姫は蔦葛にすがって崖を降りはじめました。
初めのうちは崖がデコボコしているので、オシャベリ姫はちょうど段々を降りるようにして蔦葛にすがりながら降りてゆきましたが、だんだん下の方になりますと崖が急になって、しまいには全く宙にブラ下ってしまいました。姫はこわくなって引返そうとしましたが、もう引返す力が抜けてしまいまして、姫はあまりの恐ろしさに蔦葛にすがりながら泣き出しました。
その声をききつけたものか、はるか崖の下の草原《くさはら》へ大勢の人が出て姫の姿を見上げていましたが、崖があんまり高いので、そんな人たちがまるで蟻のように見えました。
これを見ると姫は一層恐ろしくなって、手と足で蔓《つる》にかじり付いてブルブルふるえていますと、その中《うち》にはるか下の方から姫の掴まっていた蔦葛を伝って昇って来るものがあります。だんだん近づいて見ますと、それは黒い服にズボンを穿《は》いて、白い靴に赤い覆面をした奇妙な人間でしたが、さも軽そうに姫を引っ抱えますと、胴のところへ何やら小さな包みの紐みたようなものをくくりつけますと、いきなり姫の身体《からだ》を投げ落しました。
オシャベリ姫は肝を潰して、思わず、
「アレッ」
と叫びましたが、間もなくポカーアンと大きな音がしたと思うと、姫の頭の上で大きな傘《パラシュート》が開いて、折から吹く風につれて、向うに見えるお城の方へフワリフワリと飛んで行きました。
姫は又ビックリしましたが、それでも命が助かったのでホッと安心をしました。
「まあ、今の人は何て不思議な人でしょう。初めからそう云ってくれれば、こんなにビックリしはしないのに。おしまいまでちっとも口を利かないなんて変な人だこと……」
と独り言を云っているうちに、風船は鉄のお城の中の広いお庭のまん中へフワリと落ちました。
姫はほんとうに安心をして、そこに敷いてある白い砂の上に降りましたが、風船はそのまま小さく畳んでポケットに仕舞《しま》っておきました。
そのうちに姫のまわりには鉄のお城の鉄の鎧《よろい》を着た兵隊さんが沢山に集まりましたが、不思議にも一人も口を利くものがありません。だまって姫を連れて、王様の前に連れて行かれました。
王様とお妃様は、鉄のお城の中の大きな大きな鉄の室《へや》の中の、高い高い鉄の台の上に鉄の椅子を据えて、真黒な着物を着て鉄の冠をかむって坐《す》わっておりましたが、その室《へや》中のものは鉄の壁も鉄の床も、鉄の柱も鉄の天井も、それから一パイに並んでいる大将や兵隊たちの鉄の鎧も、すっかり鏡のように磨いてありまして、その中にサーチライトのような燈火《あかり》が紫色に輝いておりますので、そのマブシイ事……眼が眩《くら》んでしまいそうです。
姫は何だかこわくなって、
「これから妾をどうするのですか」
ときいてみたくてしかたがありませんでしたが、みんなだまっているところに又うっかり口を利くと、何だか大変なことになりそうなので、ジッと我慢をしていますと、鉄の兵隊の一人は姫に王様を指して、その前に行ってお辞儀をするように手真似で教えました。
姫は黙ってその通りにしました。
そうすると、王様とお妃様はジッと姫のようすを見ておりましたが、やっぱりだまってうなずいたまま二人揃って壇の上から降りて来まして、二人で両方から姫を手を引っぱりながら奥の方へあるき出しました。
ところがその奥の方へ行く廊下の長いこと。右へ曲ったり左へ曲ったり、梯子段を登ったり降りたり、いつまでもいつまでも続いています。そうして連れて行く王様夫婦も、あとから随《つ》いて来る大将たちも、やっぱりだまって一口も物を云いません。
姫は又、
「妾をどうなさるのですか」
ときいてみたくなりましたが、やっぱり我慢をしていますと、やがて一つの立派な室に這入りました。
その室もピカピカ光って鉄ばかりで出来ておりまして、真ん中に鉄の大きなテーブルがあり、その上に大きいのや小さいのやいろんな鉄の壺と、それからコップや盃見たようなものが沢山に並んでいて、その真ん中あたりにある椅子に姫が腰をかけさせられますと、その右と左に王様夫婦が坐わりました。あとはお伴をして来た鉄の城の大将たちが、机の四方を取かこんでズラリと腰をかけます。そうしてみんな坐わってしまうと、入口から四人の黒ん坊の女が白い着物を着て出て来まして、真中にある一番大きな鉄の壺から、みんなの前の鉄の盃へ一パイになるように白い牛乳のようなものを注《つ》いでまいりました。
その白い汁の芳香《におい》のいい事……。
鉄の牢屋へ這入ってから、雲雀の国から蛙の国から、この口を利かない人間の国まで来る間、なんにもたべなかったおシャベリ姫は、もう今にも飛《とび》ついて飲みたい位に思いました。
けれどもほかのものがみんなジッとして手を出しませんから、姫も我慢をしていましたが、不思議にもみんなは知らん顔をしていて、ちっとも盃を手に取ろうとしません。只その中で王様が姫の前の盃を指して、「早くおあがりなさい」と云うような手真似をするだけです。
姫は困ってしまいました。
「これをこのまんま飲んでもいいのですか」
と云いたくてたまらないのでしたが、又思い出して、
「イヤイヤ、うっかり口を利いて非道い目に合うといけない。だまってみんなのする通りにしていよう」
とひもじくてたまらないのを我慢しました。そうして、
「この人たちはみんなきっと唖《おし》に違いない。そんなら耳もきこえないのだから、何を云ってもわかるまい。一つオシャベリをしてみようかしらん。イヤイヤ、唖で耳がきこえないのなら何を云ってもつまらないから、やっぱり我慢をしていよう」
と思いながら、両手を膝の上に置いてお行儀よく澄ましていました。
その様子を見た王様がお妃様の方を向いて何か手真似をしますと、お妃様はうなずいてオシャベリ姫の肩をたたきました。そうしてたべ方を教えるように、姫の見ている前で杯を取り上げましたが、いきなりその盃を鼻に当て、白い牛乳のような汁を鼻の穴からスーッと飲んでしまいました。
オシャベリ姫は呆れてしまいました。鼻の穴から飲むなんて、何という変なたべかたであろうと思いながら、お妃様の顔をよく見ますと、オシャベリ姫は思わず「アッ」と声を出しました。
お妃様の顔の鼻と眼と眉と耳とは当り前にあるのですが、口の処には何もありません。鼻の下から頤《あご》まで一続きにノッペラボーになっているのです。そうして口の代りに赤い絵の具で唇の絵が格好よく描《えが》いてあるのでした。
オシャベリ姫は呆れてしまって、ほかの王様や大将たちの顔をキョロキョロと見まわしましたが、気が付いてみると、どの顔もどの顔も、今まで口と思っていたのはみんな絵の具で描《か》いたもので、只王様や大将たちの口は大きく描《か》いてあり、お妃様の口は小さく描《か》いてあるばかりです。
これを見たオシャベリ姫は思わず吹き出しました。
「オホホホホホ。マア可笑《おか》しい。皆さんはどうしてそんなにお口がないのですか。どうしてそんなに片輪におなりになったのですか。鼻の穴には歯も舌も無いのに、どうして御飯や何かを召し上るのですか。それとも、こんな牛乳みたような汁ばかり飲んで生きておいでになるのですか。オホホホホホ。まあ、おもしろいこと。どうりでみなさんは、一人も口をお利きにならないのですね。お話も出来なければ歌もお歌いにならないのね。まあ、どんなにかつまらないでしょうねえ。オホホホホホ。ああ、可笑しい。ああ、おもしろい。変な国ですこと。アハハハ、ホホホホホ。ああ、あたしはもうお腹の皮が痛くなりそうよ。あんまり可笑しくて可笑しくて……」
と腹を抱えて笑いながらシャベリ続けました。
そうすると、よもや聞えまいと思っていた人々の耳に、オシャベリ姫の言葉がすっかり聞えたらしく、まず一番にお妃はさもさも恥かしそうに涙を流して室を出て行きました。
あとに残った王様は鬼のような恐ろしい顔になって、腰にさしていた短刀を抜いて姫を捕えて殺そうとしました。
姫は驚いて、
「アレ、御免なさい、御免なさい」
と言いながら、鉄の机の下に這い込んで、あっちこっちと逃げまわりますと、大勢の大将は八方から手を延ばして捕まえようとします。それをすり抜けすり抜けしているうちに、やっとの思いで隙《すき》を見つけて机の下から飛び出して、廊下をドンドン逃げ出しました。
あとからは、大勢の大将や兵隊が王様を先に立てて追っかけて来ます。
姫はもう一生懸命でした。
身体《からだ》が小さいのを幸いに窓を抜けたり床の下をくぐったりして、やっとの思いで庭に出ましたが、この時はもうお城中の大騒ぎで、声はきこえませんけれども、あっちにもこっちにも兵隊が手に手に短刀を持って姫を探しているのがよく見えます。
オシャベリ姫は震え上りながら、なるたけ暗い方へ暗い方へと木や家の隙を伝って、やがて一つの森の中に入ると、ドンドン走り出しました。
やがて、その森の向うの端のお月様のさしているところまで来ますと、そこには一つの高い高い鉄の塔がありまして、その下に小さな入り口がありました。
姫は喜んで、すぐにその中に這入ろうとしましたが、その時にヒョイと気が付きますと、その入り口一パイに網を張って、一匹の大きな蜘蛛が餌の引っかかるのを待っています。
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