姫はあまりの恐ろしさにあとしざりしました。
けれどもその時に、又姫がうしろをふりむいて見ますと、鉄のお城の方ではあっちにもキラリ、こっちにもキラリと光るものが見えます。それはみんな短刀で、それがだんだんこちらの方へやって来るようです。
姫は、どうしてもこの鉄の塔の中に逃げこまなければ、ほかにかくれるところが無くなってしまいました。
姫は泣くには泣かれず、逃げるには逃げられません。前には蜘蛛が待っていますし、うしろからは短刀を持った人が追っかけて来るのです。姫はもう恐ろしくて悲しくて、ブルブルふるえながら立っておりました。
そうすると、はるかに高い高い塔の上から美しい唱歌の声が聞こえて来ました。
「きれいなきれいなお月様
くうろい雲にかくれても、
泣くな、なげくな、悲しむな
やがて出て来る時がある
可愛い可愛いお姫様
大きな蜘蛛にとられても
泣くな、なげくな、こわがるな
いつか助かる時がある」
それをきいたオシャベリ姫はすぐに思い切って、鉄の塔の入り口一パイに張ってある蜘蛛の網を眼がけて飛びこみました。
ところが、その蜘蛛の網はたいそう丈夫な網で、姫の力では破ることが出来ず、かえって姫の身体《からだ》にヘバリ付いて逃げられなくなってしまいました。これは大変と藻掻《もが》けば藻掻《もが》くほど、蜘蛛の糸は身体《からだ》にヘバリついて、手や足にからまって、しまいには動くことが出来なくなってしまいました。
これを見た蜘蛛は大きな眼を光らし、大きな口をワクワクと動かしながら姫を眼がけて飛びかかって来ました。
オシャベリ姫はあんまりの恐ろしさに気絶してしまいましたが、蜘蛛の方は姫を捕まえると、そのまま沢山の糸を出して姫をグルグル巻きにして、鉄の塔の隅っ子の方へ仕舞いまして、自分は又入り口のところへ来てグルグルまわっているうちに、網をもとの通りにすっかり張り直してしまいました。
そこへ鉄の国の王様が先に立って、沢山の兵隊が手に手に短刀を光らせながらやってきましたが、蜘蛛の網が入口に奇麗に張ってあるのを見ますと、その中に誰も這入ったものがいないと思ったらしく、そのまま行ってしまいました。
オシャベリ姫はそんなことは知りません。何だか夢のように、自分がだんだん高いところへ昇って行くように思っていましたが、やがて気が付いてみると、自分は一つの小さな鉄の室の中の鉄の床の上に寝かされています。そうして傍《かたわら》に、だれか一人の男の人が心配そうな顔をして自分を見ています。
空にはいつの間にか真っ黒な雲が出て、風が吹き出していましたが、折から雲の間《ま》を出た月の光りでその人を見ますと、その人はまだ若い気高い人で、身体には美しい紫色の着物を着ていましたが、なおよくその顔を見ますと、その人の口は、この国の人間のように絵で書いたものでなく、本当の赤い唇なのでした。
「アレ」
と叫んで姫は飛びおきました。
「あなたのお口は本当のお口……」
こう叫びますと、その若い人は白い歯を出してニッコリ笑いました。
「ハイ、私はこの国のあわれな片輪者です」
「まあ……あなたが片輪者ですって」
と姫は又ビックリして尋ねました。若い人は静かな声でこう答えました。
「そうです。この国は口なしの国と云いまして、この国中の人はみんな口が無いのです。鳥でも獣《けもの》でも虫までもそうなので、声を出すものは一つもありません。雷と、雨と、霰と、風と、水の音――そんなものしかきこえないのです。それは昔この国中の人があんまりオシャベリだったからです」
「まあ……オシャベリなのにどうして口が無くなったのでしょう」
と姫はあんまり不思議なお話なのに驚いて、眼をまん丸くして尋ねました。
若い人はそのわけを話しはじめました。
「それはこういうわけです……昔、この国中の人は何でも見たことやきいたことを、ひとにお話しすることが好きでした。そうしてお話の上手なオシャベリの人ほどみんなから賞められましたので、だれもかれもおもしろいお話をしよう。みんなビックリするようなオシャベリをしよう、しようと思いました。そのためにだんだん嘘をまぜて話すようになりまして、とうとう嘘の上手なものがオシャベリの上手ということになりました。そうしてこの国中の人々は毎日毎日嘘のつきくらばかりして、本当のことは一つも云わないようになってしまったのです」
「まあ……それじゃみんな困ったでしょうね」
「エエ、ほんとにみんな困ってしまいました。誰の云うことも本当にされないからです。その中《うち》にこの国とよその国と戦争がはじまりましたが、いくら敵が攻めて来たと云っても誰も本当にしません。戦争の支度もしなかったものですから、この国の人は滅茶滅茶に敗けて、もうすこしで国中がすっかり敵に取られてしまうところでした」
「まあ、大変ですね。それからどうしました」
と姫は心配そうに尋ねました。
「私の先祖は代々この国の王でしたが、その時の王はこれを見て、国中の人々に『これから口を利く奴は殺してしまうぞ。鳥でも獣《けもの》でも虫でも、声を出すものは皆、殺してしまえ』と云いつけました」
「まあ恐いこと」
「けれどもそのために国中の人々は一人も嘘をつかなくなったばかりでなく、何の音もきこえぬほど静かになりましたので、敵の攻めて来る音や号令の声が何里も先からきこえるようになりました。その時にこちらの兵隊はみんな鉄の鎧を着て、短刀を持って、王が指さす方へ黙って進んで行きまして、黙って敵に斬りかかって行きましたので、今度はあべこべに敵が滅茶滅茶に負けて逃げて行ってしまいました」
「まあ……よかったこと」
ときいていた姫はやっと安心をしました。
若い人はなおもお話をつづけました。
「それから後《のち》、この国中の人々は一人も口を利かなくなりました。しまいには只ぽかんと口を開いていても、役人が遠くから見つけて、物を云っていたのと間ちがえて殺したりしますので、国中の人は怖がって、ものを喰べるのにも、口を開かないように牛乳やソップなぞいう汁を鼻から吸うようになりました。そうして何千年か暮しているうちに、この国の人は口が役に立たなくなったので、だんだん小さくなって、とうとう今のようにまったくなくなってしまいました。けれども全くなくなると妙な顔に見えるので、この国の人は鼻の下の、昔口のあったところに赤い唇の絵を書いておくのです」
「それじゃ、あなたはどうして口がおありになるのですか」
と姫は尋ねました。
若い人はこう尋ねられると顔を真赤にしましたが、やがて悲しそうにこう答えました。
王子はその大きな眼に涙を一パイ溜めながら、
「この国中の人間が皆口が無いのに、私一人口があるのについては、それはそれは悲しいお話があります。あなたはあの山梔子《くちなし》という花を御存じですか」
と不意に王子は尋ねました。
「ええ、よく知っています。あの晩方に大きな花を咲かせる木で、大変にいいにおいがします。花が真白なのとにおいがいいので夜でもよくわかります」
と答えました。
王子はうなずきました。
「その山梔子の樹は名前を『口なし』と書くので、昔からこの国の人々が大好きでした。ですから先祖の王様は国中にありたけの道ばたに、どんな小径にも植えさせました。そうすればどんな暗い夜でも、そのにおいと白花を目あてにして道を迷わずに行かれるからです。
……さて……私の母の妃は名をクチナシ姫とつけられました位で、まだ小さい時からこの口なしの花が何よりも好きでした。そうしてある月の夜、クチナシの白い花を次から次へ嗅ぎながらいつの間にかお城を出て、西へ西へとだんだん遠くあるいて来ました……。
ところがお城を離れれば離れるほど山梔子の花が少なくなって、しまいにはどちらを向いてもにおいもしなければ、白い花も無いようになりました……。そうして夜が明けますと、とうとう迷子《まよいご》になって、知らない国へ来てしまいました」
「まあ……ちょうど妾のようですこと……」
と姫は思わず云いました。
「それからお母様のクチナシ姫はどうなさいましたか」
王子はやはり悲しそうにして、次のようにお話をつづけました。
「クチナシ姫は、何の気もなしにその国へズンズン這入って行きますと、その国の人がだれもかれも面白そうにお話をしているのにビックリしました。
クチナシ姫はそのお話をしているようすと、そのことばをおもしろがって、次から次へときいて行くうちに、すっかりおぼえてしまいました。そうして自分も話してみたくなりましたが、口が利けないのでどうも出来ません。
それから歌に合わせて踊ったり音楽をやったりしているのを見て、もうたまらないほど歌がうたいたくなりましたけれども、やっぱり口を利くことが出来ません。
そのうちに大勢の子供がクチナシ姫を見つけますと、
『ヤア、口なしの女の子がいる』
というので大勢押しかけて来て、しまいには、
『片輪だ片輪だ。口なしだ口なしだ』
と云いながら、石や木の片《きれ》をなげつけたり、ぶったり、蹴ったりしはじめました。
クチナシ姫はこの国の人の乱暴なのに驚いて一生懸命逃げましたが、やがてとある山の中に逃げこみますと、子供は一人減り二人減りしてとうとう見えなくなりまして、姫はたった一人大きな池のふちへ来ました。
その池の水に姫は何気なく顔をうつして見ると、どうでしょう。
せっかくお母様に書いていただいた可愛らしい口が、いつの間にか消えて無くなっています。
口なし姫はお池の水にうつった自分の顔を見て泣き出しました。
『ああ、あたしにはどうして口が無いのでしょう。外《ほか》の国の人間はどうしてあんなに口を授かって、歌ったり舞ったりすることが出来るのであろう。ああ……口が欲しい、口が欲しい』
とひとりで涙を流しておりますと、そのうちにどこからともなくクチナシの花のにおいがして来ました。
口なし姫はそのにおいを便りにだんだんやって来ますと、とうとう自分の国へ帰ることが出来ました。そうして大騒ぎをして探していた両親や家来に迎えられて無事にお城へ帰って来ました。
けれどもそれからのち、口なし姫はクチナシの花を見ると涙を流しました。クチナシのにおいを嗅ぐと、いつも悲しそうにため息をしました。
『ああ。あの花さえ無ければ、私はあんなにほかの国へ行かなくともよかったのに。そうしてこんなに恥かしい、口惜《くちお》しい思いをせずともよかったのに』
と思いますと、もうクチナシの花やそのにおいがいやでしようがありませんでした。
『ああ。あの花がなくなったらどんなにかいいだろう』
と思うようになりました。けれども国中のクチナシはなかなか枯れません。
そのうちにクチナシ姫は大きくなって、王様のお妃様になりましたが、そのころからこの国中のクチナシの花は一つも咲かなくなってしまいました。これはどうしたことと云っているうちに、お妃様は玉のような一人の王子をお生みになりました。
それが私なのです」
と王子は云われました。
オシャベリ姫は、あんまり不思議なお話なのでオシャベリどころでなく、王子の顔を一心にみつめてお話をきいておりました。王子はお話をつづけました。
「私は不思議にも生まれた時から口がありまして、オギャアオギャアと泣きましたそうで、そのために赤ン坊の泣き声を聞いたことのないこの国の人々は『王様のお城に化け物が生まれた』と大騒ぎを初めました」
「まあ、何と馬鹿でしょうね。当り前のことなのに」
と姫はやっと口を利きました。
「けれどもこの国では不思議がるのが当り前なのです。それで私の父の王は私の母の妃に、その口を針と糸で縫い塞《ふさ》いでしまえと云いましたが、私の母の妃は生れ付き情深い女ですから、どうしてそんな無慈悲なことが出来ましょう。仕方がありませんから私の口に綿を一パイに詰めて、上から繃帯《ほうたい》をしまして、針で縫うた傷がいつまでも治らないように見せました。そうして父の王が狩猟に行きますと、その留守に母の妃は
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