「ボオオ――ンンン……」
 それは十海里も沖で打った大砲のような音であった。火の海の表面から湧き起った仄黄色《ほのきいろ》い水蒸気と、煙と、焔の一団が、渦巻き合いながら中空の暗《やみ》へ消え入ると、あとに等身大の大の字|形《なり》の黒い斑点が残っていたが、それとてもやがて又、何の痕跡も留めない赤い火の海平面に復帰して行った。
 ただ、それだけであった。

       六

 中野学士はポケットから白いハンカチを出して顔を押えていた。それでも噎《む》せるような焼死体の異臭に鼻を撲《う》たれてペッペッと唾液を吐いた。
 その序《ついで》にニッコリと笑って平炉の広い板張のデッキへ帰りかけたが、そのニコニコ笑《わらい》が突然に、金縁眼鏡の下で氷り付いてしまった。
 板張りのデッキへ帰る三尺幅ぐらいの鉄の橋の向うに一人の巨漢がこっちを向いて仁王立になっている。火の海の光りを反映した、その顔は怒りに燃えているようである。高やかに組んでいる両腕の太さは普通人の股ぐらいに見える。
 中野学士は思わず半歩ほど後へ退《さが》った。キッと身構えをしてその男を白眼《にら》んだ。折柄、遥か向うで開いた汽鑵場の
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