油脂の類を片端から燃やしつつグングンと流れ拡がって行く。その端々、隅々から赤や、青や、茶色の焔がポーッと燃え上るたんびにそこいら中が明るくなって、又、前にも増した暗黒を作って行く物すごい光景を、薄板工場の中から湧き起るケタタマシイ雑音の交錯が伴奏しつつ、星だらけの霜の夜を更けさせて行く。
 その数百坪に亘る「※[#「金+皮」、第3水準1−93−7]《かわ》」の火の海の上へ、工場の甲板《デッキ》から突出ている船橋めいたデッキの突端に、鳥打帽、菜葉服姿の中野学士が凝然と突立って見下している。地の下から噴き出す何かの可燃性|瓦斯《ガス》が、火の海の中央を噴破《ふきやぶ》って、プクリプクリと眩しい泡を立てている、その一点を凝視したまま動かない。その瘠せた細面にかけた金縁の眼鏡に火の海が反射して小さな閃光を放っている。
 その背後《うしろ》にモウ一人、職工姿の戸塚が、影法師のように重なり合って突立っている。鳥打帽を冠って、眼鏡をかけているところまで中野学士とソックリである。それが中野学士の背後《うしろ》から覗き込むようにして、何かヒソヒソ囁やいている様子であったが、やがて返事を催促するかのように中野学士の肩に両手をかけてゆすぶった。
「返事はどうですか……中野さん……」
「……………」
「ここで返事すると云ったじゃありませんか……ええ……」
「……………」
「貴方《あなた》は今夜は現場勤務じゃないでしょう。出勤簿には欠勤の処に印《はん》を捺しておられるでしょう」
 中野学士が微かにうなずいた。それから悠々と金口煙草を一本出してライターを灯《つ》けた。
「……あっしを……それじゃ……オビキ出すために、あんな事を云ったんですか……ここまで……」
 戸塚は脅《お》びえたように足の下の火の海を見た。中野学士がそう云う戸塚の顔を振返って冷然と笑った。白い歯並が暗《やみ》に光った。
「暑いじゃないですかここは……丸で蒸《む》されるようだ」
「……フフン……百二三十度ぐらいだろうな……この空気は……フフン……」
「……あっちに行って話しましょうよ。もっと涼しい処で……」
「……イヤ。僕はここに居る。ここで考えなくちゃならん」
「何をお考えになるんですか」
「この※[#「金+皮」、第3水準1−93−7]の利用方法さ」
「この火の海のですか」
「ウン……この※[#「金+皮」、第3水準1−93−7]の中には最小限七パーセント位の鉄分を含んでいる。この中から純粋の鉄を取るのは、非常に面倒な工程が要るので、こうやって放置して、冷却してから打割って海へ棄てるんだが、折角《せっかく》、こうして何千度という高熱に熱したものを、無駄にするのは惜しいものなんだ。ほかの技師連中はコイツをブロックにするとか、瓦を作るとか云って騒いでいるが、僕一人で反対して頑張っているんだ。だから、いつも職工が帰ってからここに来て、この火の海の中から簡単に純鉄を取る方法を考えているんだがね」
「今も考えているんですかい」
「ウン……重大なヒントが頭の中で閃めきかけているんだ。暫く黙っていてくれ給え」
 戸塚は自烈度《じれった》そうにそこいらを見まわして舌打ちをした。
「チエッ……いい加減、馬鹿にしてもらいますめえぜ。十二万円の話はドウしてくれるんですか」
「十二万円……何が十二万円だい」
「……………」
「十二万円儲かる話でもあるのかい」
 戸塚は唖然となったらしい。狭いデッキの上で、すこし中野学士から離れた。
「……呆れたね……」
「そんな話は知らないよ僕は……夢を見ているんじゃないか君は……」
 戸塚の眼が眼鏡の下でキラリと光った。菜葉服の腕をマクリ上げかけたが又、思い直したらしく、鳥打帽を脱いで頭を下げた。
「……イヤ……中野さん。決して無理は云いません。四半分でいいんで……ねえ。それ位の事はわかってくれてもいいでしょう。貴方は大学を一番で出た優等生《できぶつ》だ。これからの出世は望み次第だ。第一頭がいいからね。西村さんを殺《や》った腕前なんざ凄いもんだぜ」
 中野学士の眼鏡が反撃するようにピカリと赤く光った。
「……失敬な……失敬な事を云うな。西村を殺《や》ったのは貴様か、三好と二人の中《うち》の一人だろう」
 戸塚は冷然と笑った。
「ヘヘヘ。その証拠は……」
「九月の末に、お前と三好と俺とでテニスを遣った事があるだろう」
「ありましたよ。三好が、あっしに勧めて貴方にお弟子入りをしようじゃないかと云い出したんです。三好が、一番下手なんで、貴方が三好ばかりガミガミ云ったもんだから、あれっきり来なくなっちゃったんですが……」
「ウム。あの時に会計部の西村がコートの横を通りかかったろう」
「ヘヘ。よく記憶《おぼ》えているんですね」
「今度の事件で思い出したんだ。……あの時も半運転だったから
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