「オイ、三好。中野さんと戸塚の野郎は前から心安いんか」
三好が仄白い光りの中で片目をつぶって笑った。
「戸塚は中野さんの世話で製鉄所《ここ》へ入ったんだ。自分でそう云ってたじゃねえか」
「そうじゃったかなあ……忘れた……」
「中野さんの処へ戸塚の妹が、女中になって住込んでいる。その縁故なんだ」
「そうじゃったかなあ……なるほど……」
「中野さんは九大出の秀才で、柔道が三段とか四段とか……」
「うん。それは知っとる。瘠せとるがちょっと強い。一度、肩すかしで投げられた事がある」
「この頃、社長の星浦さんの我儘娘を貰うことになっているんだ……中野さんが……」
「知っとる。あの孔雀さんちうモガじゃろ」
「ウン。それで社長から海岸通りに大きな地面を貰っているんだが、結婚前に家を建てなくちゃならんし、自動車も買わなくちゃならねえてんで、中野さんが慌て出している。相場に手を出したり、高利貸から金を借りたりしているっていう戸塚の話だ」
「戸塚の妹が喋舌《しゃべ》ったんか」
「そうらしいよ」
コスモスの向うの中野学士はほかの四人の指導者《コーチャー》格らしく、中央のネット際に立って前後でボールを打ち合っている四人に色々苦情を云い初めた。
「戸塚ッ……お前はどこでテニスを遣ったんだっけね」
「中学で遣ったんです。後衛でしたが」
「スタートが遅いね。我流だね。ホラホラ……」
「ええ。この拝借した地下足袋が痛くって……」
「ハハハ……俺の足は小さい上に、足袋が新しいからね」
「これ……太陽足袋ですね」
「ウン……辷《すべ》らないと云うから試しに買ってみたんだが……やっぱりテニス靴の方がいいね。窮屈で、重たくて、辷る事は同じ位、辷るんだからあそこに投込んでおいたんだ」
「いつ頃お求めになったんですか」
「……………」
「非常に丈夫そうですが、どこでお求めになったんで……」
「……………」
中野学士は返事をしなかった。直ぐに真向うの事務員の一人を叱り飛ばした。
「馬鹿……そんな遠くからトップを打ったって利かん利かん……ソレこの通り……ハッハッハ……」
と高笑いをするうちに、その事務員の足の下へ火の出るようなヴォーレーをタタキ返した。その得意そうな背後《うしろ》姿を睨みながら、戸塚が地下足袋の裏面《うら》をチョット裏返してみた。そうして何気ない恰好で、飛んで来る球《たま》に向って身構えたが、間もなく顔中に勝ち誇ったような冷笑を浮かみ上がらせた。
三好と又野は壁の穴から身を退《ひ》いて、恐る恐る顔を見交した。二人とも笑えないほど緊張していた。やがて又野が深い、長い溜息を一つした。
「……そうかなあ……彼奴《あいつ》かなア……」
セカセカと眼鏡をかけ直しながら三好はうなずいた。又野は茫然となった。
「そうかなあ……ヘエーッ……」
「まだ疑っているのかい。タッタ今、自分で犯人だって事を自白したじゃねえか」
「……フーム……」
「又野君……」
「……………」
「今夜、俺と一所《いっしょ》に来てくれるかい」
「どこへ……」
三好の眼鏡が場内の電燈を反射してキラリと光った。命令するように云った。
「どこへでもいいから一所に来てくれ。六時のボーが鳴ったら俺が迎えに行く。俺一人じゃ出来ねえ仕事だかんな」
又野が黙って腕を組み直して考え込んだ。三好が冷然と見上げ見下した。
「嫌になったのかい。それとも怖くなったんかい……」
「ヨシッ……行く……」
「きっとだよ」
「間違いない」
「大仕事になるかも知れないよ」
「わかっとる」
「生命《いのち》がけの仕事になるかも……」
「ハハハ。わかっとるチウタラ……」
五
星浦製鉄所はさながらの不夜城であった。鎔鉱炉《ようこうろ》、平炉《へいろ》から流れ出すドロドロの鉄の火の滝。ベセマー炉から中空《なかぞら》に吹上げる火の粉《こ》と、高熱|瓦斯《ガス》の大光焔。入れ代り立代り開く大汽鑵《ボイラー》の焚口《たきぐち》。移動する白熱の大鉄塊。大|坩堝《るつぼ》の光明等々々が、無数の煙突から吐出す黄烟、黒烟に眼も眩《くら》むばかりに反映して、羅馬《ローマ》の滅亡の名画も及ばぬ偉観、壮観を浮き出させている。その底に整然、雑然と並んでいる青白いアーク燈の瞬きが、さながらに興国日本の、冷静な精神を象徴しているようで、何ともいえず物凄い。
第一製鋼工場の平炉は今しも、底の方に沈んでいる最極上の鋼鉄の流れを放流しつくして、不純な鉱石混りの、俗に「※[#「金+皮」、第3水準1−93−7]《かわ》」と称するドロドロの火の流れを、工場裏の真暗い広場に惜し気もなく流し捨てている。
暗黒の底に水飴《みずあめ》のように流れ拡がる夥しい平炉の白熱鉱流は、広場の平面に落ち散っている紙屑、藁屑《わらくず》、鋸屑《おがくず》、塗料、
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