が、腰を屈《ま》げているので背丈の高さはわからない。
「ヘヘッ。……初めやがった。どこの工場だろう」
 と三好が朗らかな口調で云った。三人は黙って見ていた。
 そのうちに事務員風の男が、自分の影法師を踏み踏み、コートの真中あたりまで来たと思うと、その背後《うしろ》から、急に歩度を早めた菜葉服の男が躍りかかって、無帽の男の頭を黒い棒で殴り付けた。事務員風の男は一タマリもなく、黒い鞄を投出してバッタリと俯向《うつむ》けに倒おれた。
「アッ。殺《や》りおったぞ……」
 と又野が引返して駆出そうとするのを、三好と戸塚が腰に抱き附いて引止めた。
「……馬鹿……まあ見てろ……」
「……何……何かい……」
 行きかけた又野が青くなって振返った。歯の根をガタガタいわせていた。
「……ヒ……人殺しやないか……」
 三好が白い歯を剥出《むきだ》して笑い笑い又野の前に立塞《たちふさ》がった。
「アハハ……馬鹿だな。よく見てろったら……あれあ芝居だよ。芝居の稽古だよ。第三工場の奴かも知れねえ」
 又野が太い溜息を吐《つ》いた。そのまま棒立ちになって見ていた。
 テニス・コートの上の菜葉服は、黒い棒を投棄てた。それは重たい鉄棒らしかったが、直ぐに事務員風の男の頭の処に走り寄って、顔を覗き込んだ。すると思いがけなく事務員風の男が半身を起して、盲目滅法《めくらめっぽう》に掴みかかったので、菜葉服の男は面喰ったらしい。その手を払い除《の》けると、一度投棄てた黒い棒を取上げて身軽く事務員風の男の背後にまわった。こちらに背中を向けて黒い棒を振上げると、手といわず頭といわずメチャメチャに殴り付けて、とうとう地面《じびた》に平ったくなるまでタタキ付けてしまったらしい。それはさながらに蛇をタタキ殺す時のように執拗な、空恐ろしいような乱打の連続であった。それから立上ってズボンのポケットから白い、折目正しいハンカチを引出して、帽子をすこし阿弥陀《あみだ》にしながら大急ぎで額の汗を拭いた。すべてが声の無いフイルムそのままの光景であった。
「ソレ見ろ。芝居じゃねえか」
「しかし真剣にやりよるのう」
「何だろう……探偵劇かな」
 大急ぎで汗を拭いた覆面の菜葉服は、コートの上に投出された鞄を引っ抱えるとキョロキョロとそこいらを見まわした。遥かに三人の姿を認めたらしく、白い軍手を揚げてチョット帽子を冠り直すと、そのまま第
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