その時に中野学士の胸のポケットからハミ出していた白いハンカチが、フワリと火の海の上に落ちてメラメラと燃え上った。トタンに中野学士が人間の力とは思われぬ力と声を出した。
「……グワ――アアッ……」
中野学士のお尻の処の布地《きれじ》が、又野の指の間で破れて、片足が足首の処まで火の海の中へ落ち込んだのであった。同時に硫黄臭い水蒸気と、キナ臭い煙を多量に交えた焔が燃え上って、又野の顔から胸の処まで包んだ。しかしそれでも又野は中野学士の背中を離さなかった。中野学士も又野の両腕にシッカリと抱き付いたまま膝から下を燃やしていた。
近付いて来た足音が、その上で立止まった。
「ここだここだ。ワッ。臭いッ」
「ウア――。大変だ。人間が焼け死によるぞッ」
七
暁の光りと、明け残った半月の光りが、雪のように真白な大地の霜を、静かに照していた。
星浦駅前の砂利だらけの広場に、淡い影法師を落しながら、鼈甲縁の眼鏡をかけた三好がスタスタと遣って来た。とても職工とは見えないスマートな茶縞の背広服に黒い冬オーバーの襟を深く立てて、左脇に四角い新聞紙包みをシッカリと抱えている。
一番汽車に乗るつもりであろう。暗い待合室に這入ったが、まだ時間が早いし、切符売場の窓が開《あ》いていないので、ちょっと舌打をしたまま悠々と出て行こうとした。その序《ついで》に、黄色い電燈に照らされた待合室を見まわすと、ギョッとしたらしく立止まった。
改札口に近い右手の片隅には、青いネルの布片《ぬのきれ》に頬冠りをして毛布で身体《からだ》を包んだ老婆が、シッカリとバスケットに獅噛《しが》み付いて眠っていた。
その反対側の入口に近い処に、全身を繃帯で真白に包んだ、スバラシク巨大な大入道が、腰をかけていた。その左足には石膏か何か嵌《は》まっているらしく、普通の人間の胴ぐらいの大きさになっている。おまけに履物も何も履いていないので、綿と繃帯で包んだ白い象の足みたいな足の裏が泥だらけになっている。
三好は、あんまり意外千万な人間の姿を見てビックリしたらしく立竦《たちすく》んだ。……コンナ人間がこの霜朝に汽車に乗ってどこへ行くのだろう。もしや、これはどこかのお祭りの人形か、それとも何かの標本ではないか……と疑ったらしく、すっかり気を取られて見上げ見下していたが、そのうちにその真白な、潜水器じみた巨大な頭
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