いようになってしまった。
 つまり演《や》る方では大丈夫、わからないつもりで演っているのを、見物の方で一生懸命になって筋を読み取ろうとする。寄ってたかって外題の当てっこを競争するようになったので、各工場の演物《だしもの》を秘密にしたい気持から、どこか、ほかの処で稽古をするようになったらしかった。

       二

 十月十日の水曜日の午前九時頃のこと。汽鑵部の夜勤を終《しま》った職工が三人、そのツンボ・コートを通抜《とおりぬ》けて来た。
 中央に立って歩いて来るのは、この製鉄所切っての怪力の持主で、名前は又野末吉、綽名《あだな》をオンチという古参の火夫であった。体重百四十|斤《きん》に近い、六尺豊かの図体で、大一番の菜葉服の襟首や、袖口や、ズボンの裾から赤黒い、逞ましい筋肉が隆々とハミ出しているところは、如何にも単純な飾り気のない性格に見える。のみならず、いつもニコニコしている小さな眼の光りが、処女のように柔和なので、さながらに巨大《おおき》な赤ん坊のように見えた。
 その大股にノッシノッシと歩く又野の右側から、チョコチョコと跟《つ》いて来る小柄な男は、油差しの戸塚という青年で、敏捷《はしこい》らしい眼に鉄縁《てつぶち》の近眼鏡をかけている。色の黒い、顔の小さい、栗鼠《りす》という綽名に相応《ふさわ》しい感じの男。又、左側に大股を踏んばって、又野と歩調を合わせて来るスラリとした好男子は、修繕工の三好といって、相当学問のある才物らしく、大きな擬《まがい》鼈甲縁《べっこうぶち》の眼鏡をかけているが、三人とも無言のまま大急ぎでツンボ・コートを通抜けて、広い面積に投散らしてある鉄材の切屑をグルリとまわって、事務室の前から正門を通る広い道路まで来ると、やっと又野が口を利き出した。
「ああ。やっとこさ話の出来《でけ》る処《とこ》まで来た」
「まったく……あのスチームの音は非道《ひど》いね。創立以来のパイプだから、塞《ふさ》ごうたって塞ぎ切れるもんじゃねえ」
 三好が振返って冷笑した。「会社全体が、あの通り調子付いていやがるんだからな」
「シッカリ働け。ボーナスが大きいぞ」と又野が巨大な肩をゆすぶって見せた。三好が今一度冷笑した。
「テヘッ。当てになるけえ。儲けとボーナスは重役のオテモリにきまってらあ。働らくものはオンチばかりだ」
「この野郎……」と又野が好人物らしく笑いなが
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