途中一九一九年に到って子息のJ・P・ロスコー氏が父の死により研究を引受けた旨が記載してあります。
 ――問題の東作の刺青の写真は相当古いようです。日附は一九〇四年の四月になっておりますし、刺青の手法は全然日本式で、しかも徳川時代の遺法を墨守していた維新後二十年以内の図柄ですから、東作は兎《と》にも角《かく》にも先代のロスコー氏を、よく知っている筈と思われます。
 ――また息子のJ・P・ロスコー氏の屍体に残っている刺青は、左の二の腕に彫ってある分を除き、背部の全面がサラミス海戦の図になっておりまして、その古代船艦や、波濤や、空を飛ぶ神々の姿まで、非常に細かい線描になっているようですが、それがドコまでもムラのない黒の一色でボカシも何もない。その細い線の断続の工合から見ても明らかにコカインの使用法を知らない、外国でも旧式の手法に属するもので、事によると父、M・A・ロスコー氏が練習のために自身で施術してやったものではないかという想像が可能のようです。
 ――それからその次に非常に面白い事があります。それは外でもありません。自殺したJ・P・ロスコー氏の左の二の腕に在る刺青と、マリイ夫人の全身のソ
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